【朝日新聞】日本資金使い成長の韓国企業、徴用被害救済に拠出金

8月25日朝日新聞朝刊の記事。「日本資金使い成長の韓国企業、徴用被害救済に拠出金」より

 韓国鉄鋼最大手のポスコが8月5日、日本統治下で徴兵・徴用された韓国の被害者や遺族を支援する韓国政府傘下の「日帝強制動員被害者支援財団」に30億ウォン(約2億7千万円)を拠出した。
(略)
財団側は将来、日本の政府・企業にも参加を呼びかける考えだ。
 日本は国交正常化の際、韓国が請求権を放棄する代わりに無償3億ドル(当時の1080億円相当)、有償2億ドル(同720億円相当)の経済協力資金を支払うことにした。ポスコの前身の浦項製鉄所(68年設立)の初の高炉にはこの中から約1億2千万ドルが投じられた。 このため、被害者らが「本来なら自分たちに支払われるべき資金で成長した」としてポスコに補償金支払いを求め、法廷で争った。
(略)


日本からの経済協力資金を韓国国内でどう使ったか、という問題です。個々人に配るのが筋だったかもしれませんが、それだと、おそらく国家の発展には役立たなかったでしょう。事業につかって、雇用を増やし税を納めることで、めぐりめぐって韓国国民全体が豊かになったのだ、といえなくもありません。それでも、会社は十分に儲かっているのだから、もう少し社会に還元すべきとの意見もわからなくはありません。要は、日本からのお金(直接の場合もあるし、それを元手に増やしたものもあります)を、韓国国内でどう分配するか、ということにつきます。

それだけなら、韓国人が話し合えばいいだけなのですが、なぜだか「財団側は将来、日本の政府・企業にも参加を呼びかける考えだ」そうです。

唖然とします。なんでまた“経済協力金”をせしめようというのでしょうか?

理解しがたい精神構造ですが、頑張って解釈すると、これは慰安婦財団の成功体験からきているのかもしれません。無理でも無茶でも声高に日本を非難し続けたら、ついに日本が折れて慰安婦財団に拠出金を払うことになりました。彼らにしたら、立派な成功体験なのでしょう。

日本が心しなければいけないのは、韓国に妥協的態度に出ないことです。それをすると河野談話の二の舞です。それが、慰安婦騒動で日本が得た教訓だと思います。
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【放送大学】世界の中の日本:第15回

高橋和夫先生による、放送大学の講義「世界の中の日本」の視聴メモ。

第15回は「グローバル化、北欧、日本」です。

今回が最後の講義です。

グローバル化(=人と物と情報が国境を越える)する現在、日本のありかたを見つめなおしてきました。そのヒントを北欧諸国に探し、また日本の中の外国人(特にイスラム教徒)との関わりをみてきました。

日本にあるモスクの数は、1950年に2つ。1990年に4つ。1995年に8つ。2000年に18個。2005年に33個。2009年に63個。2013年に73個。と激増しています。一見、普通の家屋に見えるようなモスクもあるので気づきにくいですが、増えています。

福岡にモスクが開設した際のパーティーに取材しました。驚いたことに、仏教の僧侶が招かれていました。

来賓としてきていた駐日アラブ首長国連邦大使の話。
「日本でのイスラム教徒の未来は明るい。日本は寛容で信仰の自由があるし、イスラム教への偏見も無い」

少子化の日本は選ぶべき道は三つある。一つはこのまま何もしない。二つ目は日本人の人口増をはかる。三つ目は外国からの移民を受け入れる。

少子化を考える上で、婚外子の割合が重要。人口100人当たりの婚外子の数は、日本2.1人。香港5.6人。アメリカ40.6人。デンマーク46.2人。スウェーデン54.7人。ここから考えて、結婚しなくても子供を産み育てられる環境があれば、人口は増えると思われる。

■感想
大使が、赴任国について良いこと言うのは当たり前なので、割り引いて聞く必要があります。日本人がイスラム教徒に寛容なのは、数がそれほど多くなく、問題を起こしていないことが大きな理由だと思います。ヨーロッパ並みに増えれば、当然犯罪発生数もそれに比例して増えますので、いまほど寛容ではいられないでしょう。イスラム教に偏見がないのではなく、関心がないだけだと思います。

外国では婚外子が少ないようですが、婚外子といっても、母親が一人で育てている場合もあれば、カップルが単に婚姻届を出していない場合もあります。この場合は実質婚姻と同じです。婚外子の割合を見るのではなく、親が一人で育てている子供の割合を見るべきかと思います。

北欧は、日本とはあまりにも条件(主産業、人口)が違うので、直接の参考にはなりにくいと感じます。例えば、“日本のあるべき未来を湾岸産油国に見つけよう”というのと変わらない違和感があります。

【朝日新聞】スポーツと国歌

8月23日朝日新聞朝刊のオピニオン欄。「耕論」のコーナーで「スポーツと国歌」というテーマを取り上げています。

朝日新聞の問題提起は次のものです。

「国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない」。選手団壮行会で、来賓からこんな発言も飛び出したリオ五輪が閉幕した。スポーツと国家、個人のかかわりを、改めて考えたい。


壮行会の件は、式次第に「独唱」とあったので、参加選手が歌わないのは当たり前です。これで歌いだしたら、日本語が分からんということで、そっちの方が「日本の代表ではない」です。文句をつけた森元首相が間違っています。

それはともかく、国際スポーツ大会で君が代が演奏される際に歌わない選手に対して、ネットで非難が集中することがよくありました。「国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない」という発言の源流かもしれません。

私は、常々こうした意見には違和感を持っていました。こういう場合は、選手は目を閉じて胸に手をあてるなどして聞き入る方が礼にかなっているような気がしています。

なんで、そう考えているのかというと、“万歳”です。

“万歳”の場合は、万歳される理由のある人は黙って頭を下げていて、周りが万歳を唱えます。自分もいっしょに“万歳”と唱和したら、漫才みたいです。

スポーツの国際大会も似たようなもので、国家の代表に選ばれた優れた選手を讃えるために国歌を流していると考えれば、選手は頭を下げて黙って聞き入るのが正しいように思います。

元サッカー日本代表主将・ガンバ大阪ユース監督の宮本恒靖氏の意見を引用します。

(略)
 サッカーの国際試合では、キックオフ前に両チームの国歌が流れます。その初めての代表戦のときもそうでしたが、僕は歌いませんでした。歌いたくなかったということではないんです。理由は特になくて、慣れていないことが大きかったような気がします。その後、A代表にも選ばれ、何十試合と国際試合を経験していくなかで、歌うようになりました。
 国歌が流れるのは、国際試合ならではのこと。そう考えると、聞きながら燃えてこないわけがない。今からこの国のために戦うということ、代表のユニホームを着られる喜び、誇り。そういうことを感じる瞬間です。自然と声が出るようになりました。
 僕の場合、ゲームに向かう準備の最終段階で、心を整えるという意味合いもありました。歌いながら心を落ち着かせ、ほどよい高揚を持って戦いに出て行く。いわば、ルーティンです。
 ただ、胸の中の思いは選手それぞれだし、どう表現するかも人によるものです。黙って目を閉じて、国歌を聞く選手もいます。その瞬間にどう振る舞うかは、意思の自由。心を一つにするためにみんなで歌うという方法もあるかもしれませんが、ルールを決める必要はないと思います。代表にいたとき、協会や監督から言われたことはないし、自分が主将のとき、決まりを作ろうとも思いませんでした。
(略)
 五輪の表彰式で、一番真ん中に国旗が掲揚されるという場面は、まさに喜びをもたらせた瞬間です。それを見ながら、誇らしいとか良かったとか、さまざまな思いがわくでしょう。その感情をどう表に出して、そして国歌を歌うか歌わないかも、選手それぞれですよね。見守ってあげてほしいなと思います。
(略)


歌わない選手がいても、必ずしも今の日本に反感を持っているからということではない、というのが分かります。

国歌を歌うとか歌わないとかで、日本代表に相応しいかを判断するのは性急すぎると思いました。

【アニメ】アルスラーン戦記 二期

原作小説は既読。一期も視聴していました。ただし、直接の元となった漫画版は未読です。

原作小説では、各キャラクターの行動が綿密に描かれているため重厚感のある架空歴史絵巻として成功しています。しかし、アニメ版ではどうしても、はしょりぎみになってしまい、魅力が半減です。

CGを用いた群衆描写には感心しましたが、それ以外は特に驚くような絵はありません。淡々と描いているという印象です。

一期のときも思っていたのですが、キャラクターデザインが合っていないのではないでしょうか。この原作には耽美的なデザインが合っていると思うのですが。

一期と同様、中途半端なところで終了しました。しかもクールを1ヶ月残しての終了です。今後も五月雨式に作っていくのでしょうか?

【朝日新聞】鳥越俊太郎氏へのインタビュー

8月20日朝日新聞夕刊。東京都知事選に落選したジャーナリストの鳥越俊太郎氏へのインタビューです。質問は

東京都知事選での敗北劇 「晩節を汚した」って思わない?


です。
鳥越氏の回答は

 全くそうは思っていません。僕はネットを見ないので、そういう声があるなんて初めて聞いたね。むしろ政治の世界をちょっと垣間見るという、いい経験をしました。都知事になるには都政について体系的に政策や意見をまとめておかないと無理だったんだろうなっていうことは、やってみて分かった。正直言って僕にはなかった。「ストップ・ザ・安倍」の思いだけで手を挙げたから。
 いろいろな批判を受けたことに対して、つらくはありませんでした。週刊誌の報道というのは、会見を開いて「違う」と説明しても「本人はそう言っている。ただ疑惑は残る」と続いていく。同じ週刊誌の仕事をやってきた人間として分かっていた。やられたものはしょうがないんだよね。
(略)


選挙戦中の鳥越氏のスキャンダル報道には疑問を持っていました。事実かどうかはともかく、あのタイミングでの報道は選挙妨害くさいものがあります。

しかし、このインタビューで二点驚いたことがあります。

一点目。

都知事になるには都政について体系的に政策や意見をまとめておかないと無理だったんだろうなっていうことは、やってみて分かった。正直言って僕にはなかった。

おいおい、という感じです。鳥越氏に投票した人はこれをどう読んでいるのでしょう。無理だったそうですよ。

やってみて分かった」というのも、どのタイミングでしょうか。もしかして、選挙中に無理だと分かっていたのに、しゃあしゃあと演説していたのでしょうか?

二点目。

週刊誌の報道というのは、会見を開いて「違う」と説明しても「本人はそう言っている。ただ疑惑は残る」と続いていく。同じ週刊誌の仕事をやってきた人間として分かっていた。やられたものはしょうがないんだよね。

鳥越氏の主張ではスキャンダル報道はまったくのデタラメだそうです。にもかかわらず、週刊誌の仕事をしてきた人間として「やられたものはしょうがない」というのが分かるそうです。

つまり、デタラメな報道をされても反論は効果がないというのが、現在の日本の風景だそうです。かつて週刊誌の仕事をしていたジャーナリストとして、その現状を肯定するのか否定するのか、否定するならどうするのか、を示すべきです。安倍政権に文句をいう前にやるべきことがあるはずです。
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Author:えいび
日々の出来事、映画やアニメの感想です。

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