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【雑記】こんどは「国境なき医師団」

国連WFP(世界食糧計画)からプレゼント付きの寄付のお願いがきたことを記事にしたことがあります。

先日、似たようなのが「国境なき医師団」から来ました。ボールペンとポストカード2枚が入っていました。

ボールペンはWFPのとは違って名前の刻印はありませんでしたが、クルスマス仕様なのか雪だるまやツリーのイラストがあしらったものです。

ポストカードは、ボールペンと同じイラストのと煙突のある一軒家に雪がふりつのり遠くから兎がながめているというイラストです。ただ、このポストカードの紙質が悪いからか同封のボールペンの圧力に負けてひん曲がっていました。とても人には送れません。

安物かもしれませんが、寄付するかわからない人間にまで配るというのは相当なコストがかかります。まったくの無駄遣いです、

「あなたのご支援により・・・」「5000円で100人のマラリア検査」とか「10,000円で300食の栄養治療食」とか書いていますが、嘘でしょう。5000円や10,000円の一部は先進国の裕福な誰かにおくるボールペン代になっているはずです。

組織自体は立派の活動をしているのだとは思いますが、なじめないものを感じます。

他の人がどう思うかは分かりませんが、私は寄付をする気をまったく持てませんでした。

参)【雑記】WFPのノーベル平和賞受賞

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【雑記】WFPのノーベル平和賞受賞


国連WFP(世界食糧計画)が今年のノーベル平和賞を受賞しました。

ノーベル平和賞を受けるぐらいですから、世界の食糧危機撲滅に大いに貢献している組織なのだろうなとは思います。

しかし、このWFPという組織には別の思い出があります。

2、3カ月前にこのWFPから私のところに寄付金のお願いが来ました。寄付のお願いは時々受け取りますし、まれに寄付をすることもあります。ただこの時のダイレクトメールはほかのとは違ったところがありました。プレゼントが入っていたのです。

トートバッグと買い物の備忘録に使うようなメモ帳と名前入りのボールペンです。名前入りというのは「WFP」という組織名ではなく、私の本名でした。つまり送り先別にそれぞれ刻印したものです。

寄付するかどうかも分からない人間に、これらの物品を提供するとなると相当なコストがかかるはずです。寄付した額の多くがこうした物品の購入資金や事務局の手数料に化けてしまうのでしょう。

このプレゼントを見て寄付をする気は失せました。

そもそも私の個人情報はどこから手に入れたのでしょう。他の団体への寄付リストが流用しているのではと思います。悪用とまではいいませんが、個人情報保護の観点から疑問です。

立派な活動をしているのだとは思いますが、なじめないものを感じました。

【雑記】詐欺(?)電話

本日夕方に自宅の電話が鳴りました。

電話をとると、自動音声の声で”こちらは東京都です。蓄電池の補助金のお知らせです・・・”といった内容をしゃべりだしました。

長くなりそうだし、興味もないし、そもそもかけてきた側が自動音声というのは無礼だと思うので、ガチャ切りしました。ちょっと気になったのでネットで調べてみました。

結果、電詐欺の電話らしいです。すくなくとも東京都ではこういう電話案内はしていません。

電話をそのまま聞いていると、75歳以上か以下かを訊かれ、プッシュボタンを押させるとのことです。おそらく情報を集めているのでしょう。年寄りだけと思われたら強盗にくるのかもしれません。

強盗団もいろいろ考えるものですね。

【雑記】「星野君の二塁打」

昨日触れた朝日新聞社説余説の「脱メダル至上主義で行こう」で、引用しなかった部分で児童文学の「星野君の二塁打」なるものが紹介されていました。

(略)
小学校の道徳で定番だった「星野君の二塁打」を思い出す。道徳が「特別の教科」となり、改めて関心を集めた文章だ。
 同点で迎えた最終回、主人公は監督のバントの指示にそむいて二塁打を放ち、勝利の立役者になった。それなのに、「規則」を破りチームの統制を乱したという理由で、監督から厳しく叱責される。
 教科書は監督の行動に肯定的だが、最近の教育現場やスポーツ関係者からは批判が多い。とくに気になるのは個人の判断が良い結果を残しても、決まりを守らず、義務を果たしていないと批判され、しかられて当然、とされることだろう。組織の規律や利益を一方的に重視すれば、スポーツはおのずと窮屈になる。
 さらに言えば、監督の指示を絶対視するのはおかしいのではないか。作戦には成功も失敗もある。臨機応変であっていい。変化する状況の中で自ら考え、判断をする力を育むことが大切だ。ひたすら指示に従わせることは自由な発想や自立の芽を摘むことになる。
(略)


私は学校の道徳の授業でこの小説を読んだ記憶はありませんが、今回全文をネットで読むことができました。文学としての良し悪しではなく道徳の教材としてどう考えたかの私見です。


基本は、監督の指示に従うのが正しいのだと思います。従わなくていいなら監督というものが不要です。しかしすべての場面で、一挙手一投足を監督が指示するというのが現実的ではありません。ある程度は任せる部分があるのは当然です。

しかし、この場面は明確にバントの指示が出ていますので、破った選手は統制を乱したことになります。

窮屈だろうがなんだろうが、指示に背いたという事実に変わりはありません。


ただ、野球はゲームですので、楽しんで試合をして負けたら負けたで悔しいけれど仕方がない、という一面があります。

なんでもかんでも監督の指示通りにしなければいけないなら、楽しくはないでしょう。


これが仮に戦闘中の軍隊だったとします。陣地を防衛せよ、という命令を無視して敵陣に攻撃をして、それが原因で全軍敗走となったら、悔しいでは済みません。

現場の判断を神聖視して、命令違反をするのは極めて危険です。

この物語で学んだ子供たちが戦争に行くわけではありませんが、現実世界に出て直面する問題には、悔しいで済まないものがたくさんあります。


物語の中で選手が納得していないらしいのは、結果的にバントの指示を無視したことで試合に勝ったということです。

しかし、現実世界の問題は、必ずしも明確に結果がでるようなものではありません。

どういう基準で判断するか、どのタイミングで判断するか、というのが明確になっているわけではないのです。

野球の勝ち負けのような単純明快なものの方が少数です。


スポーツ選手としてこの振る舞いが正しいのかどうかは判断に悩みます。

しかし現実世界なら、基本上からの命令には従うべきで、それが納得できないなら、理由をあげて上と交渉することが望ましいと考えます。

【雑記】感想文の思い出

12月8日朝日新聞投書欄。愛知県の塾講師の男性(28)の「感想文 ハードル高すぎないか」を引用します。

学生時代、感想文を書くのには苦労した。国語の授業でよく書かされたが、本当につらかった。まず感想が言葉で浮かんでこないし、浮かんでも一言二言で終わってしまう。苦しんでいるところへ、先生に「感じたことを書くのであって本文の内容を書くのではないよ」とくぎを刺され、にっちもさっちもいかなくなっていた。
先日「井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室」という本を読んだ。救われる思いがした。感想文は、プロでも難しいことを、子どもたちに要求しているとあったからだ。
文章力向上にはもちろん訓練が必要だけれども、感想文は難しすぎると思う。もっと書きやすい内容で訓練される方がいいのでは。あらすじや好きな場面、登場人物のことを書かせたり、社会科見学に行った場合、見てきたことを書かせたりといった具合だ。
ぐんとハードルを下げることで、文章を書くことに親しみやすくなると思う。


数学とか英語とか古文とか学校ではさまざまな教科があり、それぞれ嫌い(苦手)という人もいれば好き(得意)という人もいます。しかし読書感想文に限っては好きという人にお目にかかったことがありません。

私も嫌いでした。しかし大人になったら、誰に頼まれたわけでもないのにblogで本や映画の感想を書いています。

何が違うのかと考えると、一つには自分で本を選んでいないということです。学校で指定された本はどれもつまらないものばかりでした。強制されて読んだからそう思うのかもしれませんが、当時の私に合っていなかったのは確かです。

もう一つの問題は、感想文では暗にその本のよいところをあげてほめなければならないという縛りがあったことです。「感じたこと」というより、感動したところを書け、という具合です。つまらないと思った本の感動したところを挙げろ、というのは無茶な話です。

その本がつまらなかった理由なら、いくらでも書けたような気がします。
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えいび

Author:えいび
日々の出来事、映画やアニメの感想です。

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