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【朝日新聞】学校の存在理由は勉強を教えることでは?

7月3日朝日新聞朝刊オピニオン欄。「耕論」のコーナーは「新型コロナ オンライン学べるもの」で学校の長期休校で広まったオンライン授業についてです。

その中から高知県土佐市議員で教育研究者の鈴木大裕氏の「受験=ゴールが進む危険」を引用します。
(略)
僕は最初、休校で多くの人が学校のありがたさに気付いたことは、教育のあり方を根本から見直すチャンスだと期待していました。子どもたちが待ち望んだのは、友達と会うことだったり、学校行事だったり、部活動だったり、授業以外のことが多かったのではないでしょうか。「学校は授業だけじゃない」。そんな当たり前のことを大切にする教育に変わるきっかけになるのではないか、と。
ところが、議論は授業時間の確保ばかり。オンライン化も今まで通りの授業をうけさせるためのツールとしかとらえられていません。
(略)
学校から授業だけを抽出してしまえば、教育は商品化し、合理化が進みます。受験勉強も、オンライン学習も、特化してやってきた塾や民間企業の方がノウハウがあります。効率化を突き詰める中で学校は存在意義を失い、「塾のカリスマ講師をオンラインで一斉配信すればいい」という意見もでてくるでしょう。限られた教育予算が民間に流れれば、しわよせは教員数の削減など学校現場にくるに違いありません。
「そうは言っても、授業が大事」という人は多いでしょう。授業を勝ち抜き、大企業に入ることを成功ととらえる今の社会では、仕方ありません。でも、そんな社会を問い直すことができるもの、教育だと考えています。学校の目的が「点数」になったとたんに、子ども一人ひとりの違いは序列化され、競争社会に飲み込まれてしまいます。そうではなく、多様な幸福の形を示し、一人ひとりの自己実現を教育の目標ととらえる。それが「勝ち組」「負け組」という今の社会から脱却する道なのではないでしょうか
(略)


たしかに授業以外のことを楽しみにしている子供はいるでしょう。しかしすべての子供がそれを望んでいるわけではありません。いじめの被害者だけではありません。私もそうだったのですが、集団になじめない性格の人は確実にいます。運動の苦手な生徒は運動会が苦痛でしょう。そうした子供たちにとっては、学校は授業だけ、にしてもらいたいのです。

問題なのは、政治家で教育研究者がそういう事実にまるで気づかず、すべての子供が友達がたくさんいて、学校行事を楽しみにして、部活動に熱心に取り組んでいると決めつけていることです。

私は、勉強の点数で序列化された社会は望みませんが、友達の数とか部活動に取り組む熱意の度合いで序列化された社会も同様に望みません。
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【朝日新聞】(社説)ネット上の中傷 事業者の社会的責任は

6月28日朝日新聞の社説「ネット上の中傷 事業者の社会的責任は」を引用します。

 ネット上にあふれる誹謗や中傷にどう対処するか。様々な場で、様々な観点から議論されているが、表現・言論の自由を侵す恐れをはらみ、確たる解決策を見いだせないのが現状だ。
 原因のひとつに、発信の場を提供しているネット事業者の取り組みの実態が見えないこともあるのではないか。
 ツイッターやフェイスブック、ヤフーなどは、情報交換の土台を担っていることからプラットフォーマー(PF)と呼ばれる。投稿の責任を負うのは発信者本人だが、PF側にも問題があるとの指摘は多い。
 もちろんPFも無策というわけではない。独自の基準を設けて、脅迫や差別的言動、著作権侵害などにあたると判断したものを削除したり、その投稿者を利用停止にしたりしてきた。24時間体制でAIを使った監視も取り入れているという。
 それでも、対応が遅い、問題のある投稿が放置されている、一方的に利用を停止された、基準が不明瞭だ――といった苦情や不満は絶えない。
 その投稿が正当な批判・論評なのか、人権を侵害する行いなのか、直ちに判断がつかないケースはままある。PFの苦労もわかるが、だとしてもこれまでのやり方は透明性に欠け、あるいは海外の本社任せで、社会としっかり対話しようという姿勢を欠くと言わざるをえない。
(略)
 表現活動への規制は極力小さくするのが、民主主義社会にとって望ましい。過剰な介入を防ぐには、実態を踏まえて議論を深めることが不可欠で、まさにその「土台」となるデータや情報を明らかにするのがPFの務めだ。偽ニュース対策でも同様のことがいえよう。
 中傷にさらされていたプロレスラー木村花さんが亡くなったのを受けて、PF各社は善後策を検討すると表明した。社会的責任の重さを自覚し、具体的な行動で示してほしい。


ネットだろうがなんだろうが他人を誹謗中傷するのは良くないことです。その反面、言論・表現の自由は最大限尊重されなければなりません。

そのためには、「被害者」が泣き寝入りしなければならない構造を変える必要があります。「加害者」を特定しやすくして、裁判といった公の場で双方が主張しあい、どこで折り合いをつけるのかをみなで考えていくのが大事です。

しかし、PFが介入して書き込みを削除しろ、というのは乱暴です。

仮にはがきで脅迫的なことを書いて送ったとしたら、「被害者」と「加害者」が争うことになるでしょう。「被害者」は脅迫だと主張し、「加害者」は言論の自由の範囲だと反論します。それが健全な状態なのであって、郵便局がはがきの中を勝手に読んで、ゴミ箱に放り込んでいいわけがありません。

PFに削除させろ、というのはこれと同じ主張です。

AIに判断させればいいと言っていますが、これは意味がありません。碁とか将棋であればAIは手の良し悪しを判別できます。勝てる手が良い手だというのは客観的だからです。しかしネットの書き込みの良し悪しを判断する客観的な指標はありません。やるとしたら苦情の多い書き込みのパターンをAIが見つけて削除することになります。要するに、苦情が多い書き込みが消されていくという大衆による言論弾圧となってしまいます。

PFは言論の統制をしてはならないと考えます。

【朝日新聞】日韓友好は証明不要の前提なのか?

6月25日朝日新聞朝刊。日韓の問題を考える「隣人」シリーズの5回目。京都大学教授・小倉紀蔵氏の「新たな文明、日韓がつくる気概を」より

 ――日韓関係は厳しい状況が続いています。
(略)
 ――日本からすると韓国は約束を守らない、と見えて、逆に韓国には、過去に対する反省がないとみられています。視座の違いはなぜ生まれるのでしょう。
 「土台となる『世界観』が、日韓ではだいぶ異なるという事実をもっと認識すべきです」
 ――具体的には?
 「文化や慣習も違いますが、もっと大きなレベルの世界観が違います。たとえば儒教的な考えの浸透度や歴史の見方も違う。グローバル化への違和感が強い日本とそうでない韓国の違いもある。でも、世界観が合わないから断絶だ、というわけにはいかないのが隣国関係。批判しながら理解もするという勇気が必要です」
 ――国際社会では米国と中国の対立が深まり、日韓はともに難しいかじ取りを迫られていますが、いかに協力すべきでしょうか。
 「日韓が『新しい文明』をつくるという気概をもつことが重要だと思います。文明とはなにも中国やアメリカだけが打ち出すものではありません」
 ――友好協力もままならない日韓にそんな大それたことができますか。
 「巨大な土地と人口を持つ大陸国家が得意でない分野があります。自然に対するきめ細かな配慮や、強権や強い理念を使わない統治や、弱者や高齢者にやさしい社会など。21世紀には、がばっと大風呂敷で全体的にものごとを考えるのではなく、繊細に丁寧にひとつひとつ解きほぐしていくタイプの文明が求められます。日本が率先しなければならない文明ですし、韓国人も実は日本人と共振する感性を多く持っているのです」
 「大陸の文明が衝突しそうなときに、それとは違う、日韓から世界にインパクトを与える魅力的な文明を打ち出していこう、ということです」
(略)
(聞き手 論説委員・箱田哲也)



「土台となる『世界観』」なるものが異なるのは日本と韓国だけではありません。世界に日本と同じ「世界観」の国はないでしょうし、韓国と同じ「世界観」の国は北朝鮮だけでしょう。

ほぼすべての国際は「土台となる『世界観』」が違うのに、日韓だけがもめるとすれば、それは「世界観」の違いでは説明がつかないと考えるべきです。


「日韓はともに難しいかじ取りを迫られていますが、いかに協力すべきでしょうか」というインタビュアーの問いかけは奇妙です。

なんで「協力すべき」が前提なのでしょう。喧嘩をしろとはいいませんが、互いに(ちょっと仲が悪いけど)普通の外国として相手をしているのが精神衛生上ベストな方法です。


「日韓が『新しい文明』をつくるという気概」というのも変です。日本が「新しい文明」をつくりたければ作ればいいし、韓国が「新しい文明」を発信したければ発信すればいいだけです。

日韓が共に協力しあわなければならない理由が分かりません。


なんで嫌韓の日本人が増えたのかと不思議がる声はよく聞きます。しかし私には、日韓友好が証明不要の前提になっている人がいっぱいいることの方がよっぽど不思議です。

【朝日新聞】憲法改正論議を避ける新聞

6月11日朝日新聞の社説「国会召集訴訟 物足りなさと収穫と」を引用します

 この国の健全な民主主義のために、なぜもう一歩踏み込まないのか。司法の本来の責務の放棄と言わざるを得ない。
 3年前、野党議員による臨時国会の召集要求に応じなかった安倍内閣の行いが憲法に違反するかが争われた裁判で、那覇地裁は議員側の訴えを退けた。
 要求は、森友・加計問題の真相を解明するためとして17年6月22日に出された。内閣は98日後の9月28日にようやく召集。だが冒頭で衆院を解散し、実質審議は行われなかった。このため沖縄県選出の議員らが、質問や討論の権利を奪われたとして国に損害賠償を求めていた。
 根拠としたのが、臨時国会について「いずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」と定めた憲法53条だ。
 これに対し地裁は、召集されなかったことに伴う不利益や損失は金銭で回復される性質のものではないなどとして、訴えは国家賠償制度の趣旨に沿わないと指摘。当時の内閣の行為は合憲か違憲かの判断をしないまま、判決を言い渡した。
(略) 
 一方で、言い分がすべて認められたわけではないことを、国側は肝に銘じる必要がある。
 国側は、国会の召集は高度の政治性をもち、裁判所はその当否を判断するべきではないと主張していた。だが判決は、召集要求があれば合理的期間内に応える法的義務が内閣にあると述べ、その際認められる裁量の幅は「限定的なもの」と判断。時期が遅すぎないかなど、司法審査の対象になると結論づけた。内閣の対応によっては、憲法違反と断じる可能性があるとの考えを示したものだ。
(略)


裁判に訴えるには損害賠償請求という形式しかできず、しかし裁判所としては金銭的損害はないから訴えを退けた、という構図です。

裁判所が悪いのではなく、制度に問題があります。

根本的には、国会の召集要求を90日以上無視したのは、憲法の想定を超えた行為であり、内閣側の落ち度です。森友・加計問題の真相究明などくだらないことのようにも思いますが、請求があった以上召集すべきでした。

どうすればよいかと言えば、憲法を修正(加筆?)して、”〇日以内に召集しなければならない”の一言を付け加えるべきです。

しかし朝日新聞はその本筋を主張せずに、政権はえりをただせ、司法はもっと踏み込め、と精神論みたいなことを言っています。

憲法を守るというのは、条文を一字一句変えないということではなく、その精神を尊重して修正していくということだと思うのですが・・・

【朝日新聞】「密着すれど癒着せず」とは何か?

5月29日朝日新聞朝刊オピニオン欄。今回の「池上彰の新聞ななめ読み」は「黒川氏との賭けマージャン 密着と癒着の線引きは」です。

(略)
 私もかつてNHK社会部の記者でした。警視庁を2年間担当し、捜査1課の幹部から一線の刑事たちまで、多くの人たちから情報を得ようと必死な時代がありました。結局たいした特ダネも書けないまま警視庁担当を外れました。
 いまでも時折、あの頃のことを思い出し、自分のふがいなさに情けなくなります。後輩たちに偉そうなことは言えません。
 しかし、このとき上司から言われたことは忘れられません。記者の心得として、「密着すれど癒着せず」という言葉でした。
 取材相手に密着しなければ、情報は得られない。でも、記者として癒着はいけない。この言葉を肝に銘じて……と言うと優等生のようですが、密着することができなかった自分の能力不足を棚に上げて、「癒着はダメだから」と自分をだましていたようにも思えてしまいます。
 今回の出来事を、どう考えればいいのか。悩みながら新聞各紙を読んでいたら、22日付の毎日新聞朝刊に載ったジャーナリストの大谷昭宏氏のコメントが目を引きました。大谷氏は、かつて読売新聞大阪本社で大阪府警を担当し、特ダネ記者で鳴らした人です。それだけに大谷氏の考えを知りたかったのです。こう書いています。
 〈記者は取材相手に食い込むために、お酒を飲んだり、マージャンやゴルフをしたりすることもある。まして黒川氏は検察でいえばナンバー2だ。同業者としては複雑な思いもあり、建前で語りたくはない〉
 この時期に、これはなかなか勇気のある発言です。「賭けマージャンとはけしからん」と建前のコメントをするだけでも済んだのに、簡単に切って捨てるわけにはいかないという思いがにじみ、好感が持てました。
 もちろん、このコメントの後で大谷氏は「到底、肯定できない」と批判しているのですが、そこで終わってはいないのです。こう語ります。
 〈一方で、この件をもって記者の牙を抜いてしまうようなことがあってはいけない〉〈(権力を持つ側が)発表した文書を通り一遍に伝えるだけでは記者の仕事は成り立たず、読者にディープな情報を届けられなくなってしまう。新聞には公器としての役割がある。記者が自らを律しながら取材をしていくことが重要だ〉
 そうですね。記者の取材活動が、これで萎縮してはならないのです。でも、毎日の紙面の大谷氏の隣ではメディア論が専門の鈴木秀美氏が、こう語っています。
 〈ソーシャルメディア上では、この問題に関して「記者たちは黒川氏が賭けマージャンをしていることを知りながら、なぜそのことを報じなかったのか」という声が上がっている。一線の記者たちは、報道倫理について改めて考えを巡らせてほしい〉
 賭けマージャンをしていることを知りながら、なぜ報じなかったのか。こういう疑問が出るのは当然のことです。読者から、そう聞かれたら何と答えるのか。他社の記者たちにとっても人ごとではなく受け止めてほしい声です。


池上氏は感銘を受けたらしいですが、「密着すれど癒着せず」などというのは単なる言葉遊びにすぎません。何が密着で何が癒着なのか定義がないからです。

大谷氏の発言も苦渋に満ちているようで実のところ「密着すれど癒着せず」の心得にすぎません。何がよくて何が悪いのか感覚で喋っているだけに見えます。

大谷氏も、取材対象とお酒やマージャンやゴルフをしたことがあるそうです。しかし「到底、肯定できない」と言っているのは賭けマージャンだからでしょうか? それなら大谷氏は取材対象と賭けずにマージャンをしていたとでもいうのでしょうか?

そもそもジャーナリストも検事も少額を賭けてのマージャンが悪とは思っていなかったのが原因です。しかし、表立ってそれを言うのがはばかられるという本音と建て前の乖離が、池上氏や大谷氏などジャーナリストの歯切れの悪い発言の原因です。

「賭けマージャンをしていることを知りながら、なぜ報じなかったのか」は、悪いことだと思っていなかったから、につきます。
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えいび

Author:えいび
日々の出来事、映画やアニメの感想です。

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