【朝日新聞】民進党が駄目な理由

4月19日朝日新聞朝刊。『操られる「責任野党」』より

(略)
責任野党という言葉を日本政治で最初に掲げたのは旧社会党から1960年に分裂した旧民社党。歴代自民党政権に対して是々非々の立場を強調していたが、自民の補完勢力と受け止められる局面が多かった。
 旧民社の流れをくむ民進党も、野党分断を図る首相の言葉に過剰反応し、自らパノプティコンにはまっている。昨年9月に代表に就任した蓮舫氏が掲げた「提案路線」がその典型例だ。
 現実には提案よりも、政権を追及する仕事に徹せざるを得ないのが野党だ。そうなると首相からは「批判に明け暮れていれば、中身のある議論が行えない」と言われ、ネットでも「提案路線はどうなったのか」と指摘される。まさに隘路(あいろ)に迷い込んでいるのだ。
 奥野総一郎衆院議員は昨年の衆院予算委で、高市早苗総務相の電波停止発言が、メディアへの強権的姿勢という政権の本質をはらむ問題と考えて質問した。だが世論の反応は鈍く、手応えは芳しくなかった。
 「対案を出しても実現しない。批判しても世論を味方に付けられない。政治家としてつらい。野党の存在意義って何だろう。なんとなく、八方ふさがり」

 ◆パノプティコン もともとは監視者がいてもいなくても囚人が監視を意識する監獄施設のこと。転じて20世紀にフランスの哲学者フーコーが、権力による社会の管理・統制システムの概念として用いた。


民進党がいま一つさえない理由が分かりました。

野党にも二種類あります。政権交代を目標とする政党と、少数だけど確固とした支持者にささえられ与党に対するチェックをもっぱらとし政権につくとしても連立が前提となる政党の二つです。

後者の例だと日本共産党がそれに当たります。政権をとる気はないように見えますが、それはそれで存在意義があります。ときどきですが良いことも言いますし。

政権から転落してからの民主党とそれに続く民進党の分からないのは、二つのうちどちらを目指しているのかはっきりしない点です。

与党に三分の二をとらせないという目標は、日本共産党型の野党のあり方です。「提案路線」というのは政権奪取型の野党のあり方です。

どっちだか分からないから、やることに一貫性が見えません。

野党なのですから「対案を出しても実現しない」のは当たり前です。対案を示すことで次の選挙で支持を集めるのが目的なのです。政権をとりたいのであれば、実現しなくても対案を出し続けなければなりません。

「批判しても世論を味方につけられない」のは、批判の中身が薄い(又は、ない)からです。与党を厳しく批判したいのであれば、世論が味方になるような中身のある批判をしなければなりません。

どちらの型の政党を目指すのか、という目標が定まっていませんし、その目標を達成するための戦略もありません。だから駄目なのだと思います。
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【朝日新聞】世襲議員について

4月15日朝日新聞朝刊のオピニオン欄。内山融・東京大学教授の「《なぜ》「3バン」強み、若くして当選」より

 衆議院における世襲議員の割合は、2割前後で推移しており、自民党だけみるともっと高くなります。外国も世襲議員はいますが、たとえば英国下院は1割ほどで、米国はもっと低いようです。国際的にみても、日本は世襲が多い国といえます。海外の学者に「日本は(権力が世襲される)封建国家か」と驚かれたこともあります。
(略)


「世襲議員」が多いと言っても、実際のところ世襲ではありません。親が政治家で息子(娘)も政治家をやっているというだけです。選挙に当選しなければ政治家にはなれないのですから、厳密な意味での世襲とは違います。

海外の識者の声に耳を傾けるのは大切かもしれませんが、鵜呑みにするのではなく、疑いをもって多面的に考えるべきです。

内山氏は英国と米国とを比べていますが、英国との比較はなぜか下院だけです(米国は上院を含めて言っているのかどうか不明です)。

英国の上院は貴族院ですので、世襲の(しかも厳密な意味での世襲)割合はかなり高いと予想できます。

上下院を合算すれば、日本より「世襲」率が高いと推測できます。

海外の学者に「日本は(権力が世襲される)封建国家か」と驚かれて、恐れ入っている方が私には驚きです。

女性議員の割合の国際比較も同じです。何故だか下院だけで比較しています。上院(参議院/貴族院)を含めると、どこかの国の都合が悪いからなのでしょうか?

【朝日新聞】投書欄「どう思いますか」:“読書はしないといけないの?”

4月5日と4月12日の朝日新聞朝刊の投書欄。毎週掲載の、投書に対する反響の投書を載せる「どう思いますか」のコーナー。二週連続して同じテーマで、“読書はしないといけないの?”です。

元になった投稿は、東京都の大学生(21)の投書です。

「大学生の読書時間「0分」が5割に」、という記事に、懸念や疑問の声が上がっている。もちろん、読書をする理由として、教養をつけ、新しい価値観に触れるためというのはあり得るだろう。しかし、本を読まないのは良くないと言えるのか。
私は、高校生の時まで読書は全くしなかった。それで特に困ったことはない。強いて言うなら文字を追うスピードが遅く、大学受験で苦労したぐらいだ。
大学では教育学部ということもあり、教育や社会一般に関する書籍を広く読むようになった。だが、読書が生きる上で糧になると感じたことはない。役に立つかもしれないが、読まなくても問題ないのではないか。読書よりもアルバイトや大学の勉強の方が必要と感じられる。
読書は楽器やスポーツと同じように趣味の範囲であり、読んでも読まなくても構わないのではないか。なぜ問題視されるのか。もし、読書をしなければいけない確固たる理由があるなら教えて頂きたい。


二週間にわたり、八人からの反応と、二人の識者の意見が載りましたが、「読書をしなければいけない確固たる理由」を示したものはありませんでした。また、4月12日の反応には、ネットと紙の本の対立、という観点からの反応が目立ちました。

私なりに回答してみます。

まず「読書」の種類ですが、教養(直接必要ではないが身につけておくのが喜ばしいとされる知識)のためのものと、よりよく生きるのに直接必要な知識を得るものと、に分類します。

文学作品を読むことはは前者にあたります。教育学部に在籍する投書子の「教育や社会一般に関する書籍」は後者です。むろん、文学部の学生だったら、文学作品を読むことは前者にあたりますので、この区分けは誰にでもあてはまる絶対的なものではありません。

前者の読書は必要ではありません。読みたくなければ読まないでいっこうにかまいません。一昔前なら「必読書」というものがあって、同じ階級の人間だったら誰でも読んでいなければならない本というのがあったらしいですが、現在ではそういう「必読書」は崩壊したように見えます。

後者は当然ながら必要です。例えば、システムエンジニアだったらマニュアルが読めなければ話になりません。

問題なのは、若い時に前者の読書をしていないと、後者の読書がしづらいのではないかということです。面白くない文学作品を強要されるのは苦痛ですが、楽しくて読んでいる分には、楽しいさだけでなく、言葉や言い回しを覚え、長時間の読書への耐性がつきます。中高生の間に後者の読書というのは考えにくいので、前者の読書で楽しみながら読書習慣を身につけるのはよいことだと思います。

ただ、投書子の文章は、高校生まで読書習慣がなかったのに、非常にしっかりしたものです。この投書を読むと、必ずしも読書習慣が必要とは言い切れなくなりました。

【朝日新聞】「自白強要は仕方ない? 高校生7割が肯定的 1千人調査」

4月9日朝日新聞の「自白強要は仕方ない? 高校生7割が肯定的 1千人調査」という記事です。法律教育に取り組む大学の先生が高校生に法律の知識を問い、分析したとのことです。

 憲法で権力を制限するという「立憲主義」への理解が8割の高校生に浸透する一方、差し迫った重大犯罪を防ぐためには自白を強要してもよいと考える高校生が7割近くに上ることが、高校生1千人を対象にした研究者の調査でわかった。
 法教育に取り組む研究者のグループ(代表・橋本康弘・福井大教育学部教授)が昨年9~12月、関東と関西の8高校、1370人に法に関する知識や考え方を聞いた。橋本教授は「自分の頭で考え、判断する知識が身についているかを見るのが調査の目的」と話す。
 「日本国憲法は、国民の権利や自由を守るために、権力を制限する仕組みを定めている」との説明が正しいか尋ねたところ、正解の「○」が81・1%に上った。


○×だから正解しやすいとは思いますが、81.1%というのは大変に優秀な高校生たちだと思います。
 

その一方で「法の支配とは、法によって人間のわがままな行為を規律し、それに反すれば厳しい罰を与えるべきであるという考え方をいう」の正誤を尋ねると、正解の「×」と答えたのは35・0%。国家権力が法に縛られるという「法の支配」の考えが浸透していないことがわかった。質問を作った土井真一・京大院教授(憲法)は「法の支配の理解が浸透していないのは、法は人々の行為を規制し、違反すれば罰せられるという、古来中国の法治主義のイメージが日本社会に強く残っているためだろう」とみる。


この分析は間違っています。単に「法の支配」という言葉を知らなかっただけでしょう。前問の結果から、多くの高校生が「法の支配」という考えを知っていたと推測できます。だいたい「古来中国の法治主義のイメージ」を現代日本の高校生一般が持っているはずがありません。インテリの無茶苦茶な想像だと思います。

 司法・刑事手続きについて「日本国憲法では拷問は禁止されているが、拷問によって得た自白が真実であるなら、その自白を有罪の証拠としても構わない」が正しいか聞くと、正解の「×」が66・2%にとどまった。


これは難問かもしれません。拷問が禁止されていることは設問で明示されています。自白内容が真実であることも(どうやって証明したのかは不明ですが)設問の前提です。この場合、自白を証拠として排除しなければいけないのか、というのは法律の技術的な問題に見えます。

この設問の前提だと、自白を証拠としなくても、真実は証明されているはずなので、法律の専門家でもない高校生には枝葉末節なのではないでしょうか?

また、「多くの人命にかかわる重大な犯罪が発生しようとしている場合、共犯者と考えられる人に自白を強要してもいいと思う」かどうかも尋ねたところ、(1)とてもあてはまる(2)まああてはまる(3)あまりあてはまらない(4)まったくあてはまらないの四つの選択肢のうち、(1)=25・6%(2)=42・2%と約7割が自白の強要に肯定的で、(3)23・2%(4)7・0%だった。
 拷問と自白強要の回答を重ねて分析すると、拷問による自白を証拠としてはならないという正解を選びながらも、自白の強要を容認した生徒が約44%に上ることがわかった。


設問を作った人には、「自白の強要=拷問」のつもりかもしれませんが、どこにもそうは書いていません。そういう意図なら、明確に「多くの人命にかかわる重大な犯罪が発生しようとしている場合、共犯者と考えられる人に拷問してもいいと思う」かどうかをたずねるべきでした。

調査文章の中で、「自白の強要」と「拷問」という言葉があれば、別の意味を持っていると解釈されても仕方ありません。

【朝日新聞】復興大臣発言に便乗?

4月7日朝日新聞朝刊。『復興大臣発言に便乗? 新潟の避難者施設に電話「帰れ」』より

今村雅弘復興相が東京電力福島第一原発事故で今も故郷に戻れない自主避難者について「本人の責任」などと発言した翌5日、新潟市の避難者の支援施設に「大臣の会見を見た。自主避難者は帰ればいい」という電話があったことがわかった。
 施設を管理運営する市によると、電話は男性の声で、4日の会見での今村氏の発言を報道で知ったと前置きし、「自主避難者は勝手に避難している」「毎日遊んでいるのに何で避難しなければいけないんだ」と繰り返し主張したという。この施設は新潟県内で暮らす避難者が交流の場などとして利用している。
 市の担当者は「これまで避難者を非難する電話がかかってきた記憶はない。心ない電話で悲しいとしかいいようがない」と話した。


記事は、今村復興相の発言に触発された男が“心ない電話”をかけてきた、といわんばかりですが、疑問があります。

そもそもの今村大臣の発言自体、何がおかしいのか、私にはよくわかりません。自主避難の人たちにも汲むべき事情があるのかもしれませんが、行政が命令して避難した人間と、それ以外の人間では扱いに差があるのは当たり前です。

震災直後、東京に住む身軽な金持ちが沖縄あたりに避難した、という話を聞いたことがあります。それはそれで勝手ですが、国の責任(平たく言えば国民負担)にされてはたまりません。

このような意見が決して少数意見だとは思いません。しかし、マスコミからは今村大臣を非難する声一色です。意見に妥当性がない、という主張もあるでしょう。それならそれで論戦があるべきです。しかし、マスコミは一方の意見を黙殺しています。

こうした不自然な言論の状況こそが“心ない電話”の原因なのだと思います。

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えいび

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日々の出来事、映画やアニメの感想です。

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