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【朝日新聞】北朝鮮の代弁者

7月10日朝日新聞朝刊オピニオン欄。「耕論」のコーナーは、米朝会談についてです。その中から恵泉女学園大学・李泳采教授(韓国出身)の「朝鮮戦争終結の機会到来」より引用します。米朝会談が朝鮮戦争終戦のチャンスとの見方をしています。

(略) 
 文大統領は、その根本原因は朝鮮戦争が終わっていないことにあると考えます。戦争終結を宣言し、平和協定を結び、南北の和解と信頼を確かにする。統一はまだ先のことでも、経済交流が進み経済規模が大きくなれば、韓国の若者らの失業問題もいい方向に向かう。そうした発想です。
 南北の分断は日本の植民地支配とも関係しています。朝鮮戦争は米ソ冷戦下、資本主義と共産主義の対立でもありますが、内戦の側面もありました。45年に日本の支配が終わり、どういう国をつくっていくか。日本に協力した「親日派」と、日本に抵抗した人たちの間の生存のための激しい闘いでもありました。
 朝鮮半島が安定すれば、日本の防衛費や、沖縄などの米軍基地の負担も軽くなります。そうした意味で朝鮮半島の問題は日本近現代史の延長線上にあり、日本でも関心を持って見守って欲しいと思います。


朝鮮半島が安定したって中国共産党があるかぎり日本の防衛問題は解決しません。それはともかく、朝鮮戦争への見解には驚きました。

資本主義と共産主義の代理戦争だったというのは分かりますが、「親日派」と「日本に抵抗した人たち」との間の闘いでもあるというのです。

李教授はあきらかに、韓国が「親日派」(朝鮮の用語で悪い奴)で北朝鮮が「日本に抵抗した人たち」(つまり正義側)とみなしています。

これは北朝鮮の歴史観です。

そういえば、米朝対話で朝鮮戦争の終結を求めるというのも北朝鮮の戦略だったはずです。

北朝鮮のエージェントみたいな人が日本の大学で働いているというのは困ったものだと思います。
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【朝日新聞】奴隷を使った人体実験

7月3日朝日新聞朝刊の特集記事「世界発2019」は「産婦人科の父、奴隷人体実験の闇 米、功績めぐり論争 像を撤去」です。

 ニューヨーク・マンハッタンのセントラルパークに1934年からあったブロンズ像が昨年4月、撤去された。
 ジェームズ・マリオン・シムズ(1813~83)。出産で膣に穴が開く「フィスチュラ」の治療法を確立し、米国医師会長も務め、「現代産婦人科の父」と呼ばれる。片足を引きつけて横向きに寝る姿勢は「シムズの姿勢」として今も妊婦に勧められている。
 ところがその功績には、像では語られない闇があった。南北戦争前、奴隷貿易の中心地、アラバマ州モンゴメリーで開業していたシムズは、奴隷のアフリカ系(黒人)女性の体を治療法の実験に使っていたのだ。
 シムズが自伝で言及しているのはアナーチャ、ベッツィー、ルーシーの3人。17歳だったアナーチャには30回も手術をした。近代的な麻酔技術は開発されたばかりで、使われなかった。
 10年ほど前、シムズの闇に光を当てた著作が発表され、住民から像の撤去を求める声が上がった。
(略)
 シムズ像撤去の是非は論争を巻き起こした。現在の規範で判断すべきではないと反対意見も上がり、英科学誌ネイチャーは17年9月、こうした見方を紹介して「歴史上の人物の像の撤去は歴史を隠す恐れがある」との論説を載せた。ところが反論が相次ぎ、謝罪・訂正を余儀なくされた。シムズ像に「レイシスト」(人種差別主義者)と落書きされる事件も起きた。
(略)
 「シムズがしたことは、19世紀の女性医学に携わる人にとってはごく普通だった」。奴隷を実験に使う、麻酔なしに手術するといったことは当たり前のように行われていた。白人男性医師の間では、黒人女性が痛みを感じないか、感じても極めて少ないと広く信じられていたという。
 この偏見はまだ残っている。バージニア大が白人の医学生や研修医に尋ねた16年発表の調査では、半数が黒人は痛みに強い、皮膚が厚い、などと信じていた。
 出産で亡くなる女性は黒人が突出して多い。米疾病対策センターによると、白人が10万人に13・0人に対し、黒人では42・8人と3倍以上だ。偏見による不十分な治療が原因との指摘もある。
(略) 



いま私が追っかけているNHKで放送中の「フランケンシュタインの誘惑」の題材みたいな話です。いくつか思うところがあるので挙げてみます。


ネイチャー誌が言いたいのは、過去の科学者の実験が現代人の目からみて(もしかしたら当時の人の目からみても)おぞましいものであったとしても、その成果を否定すべきではない、ということではないかと思います。

たしかに、シムズの実験が非人道的だから、「シムズの姿勢」をやめましょう、というのは間違っています。

しかし、像の撤去そのものは「歴史を覆い隠す」ことにはなりません。その像をみて不愉快な気分になる人が大勢いるなら公共の場に置くべきではないでしょう。

像の撤去に横やりを入れるネイチャー誌の論理はよくわかりません。


黒人は痛みに強いと思いますか、という質問を白人の医学生や研修医に尋ねて、その結果から黒人が十分な治療を受けていないと推測していますが、その推測には無理があります。

訊くべき相手は、勉強中の医学生や研修医ではありません。免許を取得して独り立ちした医師を対象に調査すべきです。

勉強中の人間が知識不足だとしても、医療の水準が不十分であるとは推測できません。


黒人も白人も痛みへの強さは同じ、というのが現在の通説のようですが、よく考えると、どういう根拠があるのでしょう。

例えば、こんな実験はどうでしょうか。複数の黒人・白人をランダムに選び、同じ力で打撃を与えます。徐々に打撃力を増していって、どの段階で降参するかを申告させます。この結果が人種による差がなければ、痛みへの強さは同じと判定できますし、差があれば人種によって苦痛への耐性が違うといえます。

しかし、我慢強い人は少々の苦痛では弱音を吐かないし、根性がなければすぐ降参する、というのは想像できます。我慢しているのと、苦痛に鈍感なのとは違います。違いますが、他人からは区別できません。

都市伝説みたいなものに、女性の方が苦痛に強い、というのがありますが、それと同じで、否定する証拠もなければ肯定する証拠もないのではないように思います。

ただしこれは思考の遊戯であって、人種による苦痛の耐性は同じと想定して医療行為をするというのが、現実的には正しいと思います。

【朝日新聞】言葉を定義しないでは議論になりません

7月2日朝日新聞朝刊。「採決強行 与党の常道に」を引用します。

 参院選で改選されるのは2013年に当選した議員たちだ。その歩みは再登板した安倍晋三首相の政権6年半とほぼ重なる。13年参院選では自民党が大勝し衆参ねじれが解消、国会は政権の意向がそのまま反映される「一強国会」へ歩み始めた。与野党の圧倒的な議席差のもと、国会は何を得て、何を失ったのか。
 (略)
 憲法は国会を「国権の最高機関」「国の唯一の立法機関」と定める。最後は多数決になるため、選挙で勝った多数派が主導権を握るが、議論によって法律の必要性や問題点を明らかにし、必要なら法案を修正したり、撤回させたりするのが国会の大切な機能だ。
 少数政党の主張が尊重される理由はそこにある。国民の支持があれば、法案に反対するための審議の引き延ばしなど「議事妨害」はある程度容認されてきた。
(略)
 国会の強引な運営は07年参院選で自民が大敗した後の「衆参ねじれ」からあった。参院の主導権を握った民主党は数の力を存分に使った。当時代表だった小沢一郎氏(現・国民民主党)は「政権奪取とは権力闘争だ」と語るが、参院自民関係者は「なりふり構わぬ民主の国会戦術が今の強引な国会運営の源流」と指摘する
(略)
10年参院選で民主が敗れ再び「ねじれ」になると、今度は自民が意趣返しをする番だった。
(略)
安倍政権はすでに6年半。強引な国会運営は続く。自民ベテラン議員は与党にいながらこう嘆く。「国民に考える情報や時間を与えない、国会での審議の場も作らない。安倍政権は自民党内の民主主義も国会の民主主義も壊した」


民主主義ですから少数意見の尊重は重要です。多数をとったからといって何でも好きにしていいわけではありません。しかし一方で原則はあくまで多数決であり少数決ではありません。ある程度の議論が済んだら多数決をとる(=与党が勝つ)というのは当然のことです。

記事は、安倍政権が少数意見を尊重していない(=民主主義を壊している)。その源流は小沢一郎氏にある、というものです。

しかし、この記事には説得力がありません。”強引な国会運営”とは何か、という定義がないからです。

人によっては、”民主党のやっていたのは当然で安倍政権だけが悪い”という意見もあれば、”安倍政権がやっているのは普通で民主党はひどかった”という見方もできるでしょう。ひとえに言葉の定義がないからです。

”この記事においては強引な国会運営というのはこれこれのことを言う。その定義に照らして源流は民主党であり、安倍政権も受け継いでいる”というように定義が示してはじめて議論が展開できるのです。

そもそも「採決強行」という言葉が変です。「強硬策」「強硬突破」「強硬派」「強硬姿勢」「強硬措置」「強硬論」という言葉があるように、「強硬」は頭につけて「強行採決」が自然な日本語です。

思うに紙面で「強行採決」と書くと、”どういう意味だ!?”という反応があるのを恐れて、変な造語をしたのではないでしょうか?

【朝日新聞】マスコミだってやれることはあるはず

6月30日朝日新聞の社説「大阪G20閉幕 安倍外交の限界見えた」より

 世界のリーダーを大阪に招き、安倍首相が議長を務めたG20サミットが終わった。直面する課題に確かな処方箋を示せたのか、首脳外交の華やかさに目を奪われることなく、その成果を冷徹に問わねばならない。
(略)
首相が仲介外交に乗り出した米国とイランの対立や、サウジアラビアの記者がトルコで暗殺された事件をめぐって、突っ込んだ議論が交わされた形跡はない。会議の成功を優先し、難しいテーマから逃げたと見られても仕方あるまい。
(略)


全体としてG20での安倍外交を批判するトーンです。その中の一つとして、サウジアラビアがトルコで記者を暗殺した件を議題にしなかったことを批判しています。

私もこの件を不問にするようなことはよくないと考えます。

他所の国に押しかけて気に入らない人間を暗殺するというのはおぞましい所業で、昔はともかく現在では、そんなことをしているのは(していると疑われているのは)、北朝鮮とロシアとサウジアラビアぐらいのものです。明確に非難をしないでいると、調子に乗って繰り返すかもしれません。非難したらやめるかというとそれも疑わしいのですが、世界は監視しているぞ、というサインは送り続けるべきです。

さて、G20が議題に取り上げなかったのはよくないのですが、マスコミもえばれたものではありません。サウジアラビアの皇太子に取材を申し込んで、事実関係を問いただすべきです。取材を拒否されたら、拒否されたと紙面で発表し非難できますが、その形跡もありません。

政治家への注文も結構ですが、ジャーナリストが暗殺された事件にしては、マスコミの他人事みたいな態度は腑に落ちません。

【朝日新聞】OECDによる教員の労働時間調査

6月20日朝日新聞の記事「教員、進まぬ改革 OECD調査 中学校、仕事週56時間で最長/生徒主体の学び、少ない授業」より引用します。

 日本の小中学校の教員は他の先進国と比べて、仕事時間が最も長い一方、教員としての能力を上げるために用いている時間が最も短いことが19日、経済協力開発機構(OECD)の調査で分かった。文部科学省が目指す、「主体的・対話的で深い学び」の視点からの授業を実施している教員も他国より少なく、「勤務状況」と「授業内容」の双方に課題が浮かんだ。
 教員の長時間労働が問題となるなか、文科省は働き方改革を「待ったなしの課題」と位置づけている。また、小学校は2020年度から、中学校は21年度から新しい学習指導要領に基づく授業が始まり、教える内容や教え方も変革を迫られている。双方で課題が指摘されたことについて、文科省は「非常に深刻にとらえている。危機感を持って対応したい」としている。
 OECDが公表したのは、18年に実施した国際教員指導環境調査(TALIS)の結果。欧米を中心とした加盟国など、中学校は48カ国・地域、小学校は15カ国・地域が参加した。日本は13年に続く参加で、全国から抽出した国公私立小中393校の教員と校長に質問を送り、回答を得た。
 その結果、中学教員の1週間の仕事時間は56・0時間で、前回調査より2・1時間長く、平均の38・3時間を大きく上回った。ただ、内訳をみると授業時間は18・0時間で、平均の20・3時間より短かった。代わりに▽部活などの課外指導(7・5時間)▽事務業務(5・6時間)は参加国で最長だった。授業準備(8・5時間)も平均より長かった。小学教員は▽仕事時間(54・4時間)▽事務業務(5・2時間)に加え、授業準備(8・6時間)も参加国最長だった。
 一方、1週間で知識や専門性を高めるための「職能開発」に費やした時間は、小学で0・7時間、中学0・6時間。いずれも、参加国で最も短かった。
 授業内容についてみると、「明らかな解決法が存在しない課題を提示する」指導を頻繁にしているのは小学15・2%、中学16・1%で、中学は参加国平均の37・5%の半分未満だった。「批判的に考える必要がある課題を与える」は小学11・6%、中学12・6%で、どちらも参加国で最低だった。また、「課題や学級での活動にICT(情報通信技術)を活用させる」指導は、小学が24・4%、中学が17・9%(平均51・3%)だった。(矢島大輔)


まるで腑に落ちない調査です。

まず労働者としても教員という側面で見るなら、他国との比較はあまり意味がありません。自国の別の職種の労働者と比べるべきです。国全体がのんきで労働時間の短いところもあれば、みなが必死で働いている国もあります。

ある国が、教師も他の職種の労働者も一生懸命働いているとします。教師という職業だけ取り上げて、”他の国より労働時間が長い。改善が必要だ”と言うのは理屈に合いません。

百歩譲って、他国と比較するにせよ、一週間単位で比べるのは間違いです。日本の学校で言えば、入学式や運動会、遠足、テスト期間、夏冬春休み、と年に一回や数回のイベントがたくさんあります。外国でもおそらく同じでしょう。ある特定の週だけを抜き出して比較しても意味を成しません。比較するなら一年単位ですべきです。

労働者としての教員ではなく、教育の質という側面(子供がどういう教育を受けているかという側面)で見るなら各国比較は意味があります。教育の差は国力の差にあらわれてくる可能性が大です。

そうであるなら、年間の授業時間とか、課外活動で拘束されている時間を、つまり生徒の時間を比較すべきです。この調査ではそれが分かりません。

”日本の教師は忙しすぎる”という世論を作りたくて記事を書いているのかもしれません。別に教師という職業に含むところはありませんが、なんだか世論を誘導してやろうという意志を感じて、気持ちが悪いです。
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えいび

Author:えいび
日々の出来事、映画やアニメの感想です。

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