【言葉】お若いですねー

年寄りが年齢を言った場面で、お世辞なのか、「お若いですねー」と返すのをしばしば見ます。

よく考えるとちょっと変です。このやりとりを心の中も含めて再現するとこうなります。

若者:お爺さん、何歳になるんですか?(70歳くらいかな?)
老人:今年で82歳になります。
若者:えっ、お若いですねー(えっ、見かけより年寄りなんだなー)

言葉は「お若いですねー」ですが、内心は「年寄りなんだなー」と真逆です。

では、何故これが失礼にならないどころか褒め言葉になるのかいうと、こういうことだと思います。

実年齢で歳をとっているのはいかんともしがたいことですし、時代や文化によっては高齢であることは誇らしいことでもあります。その反面、よぼよぼして元気がないのは、多分どういう文化でも喜ばしくないのでしょう。

「若い」という言葉には、実年齢の老若を示す意味と、元気のありなしを示す意味の二つがあり、実年齢より元気に見える、ということで、「お若いですねー」という言葉で、褒め言葉になってます。

そして、それは現代の日本が、実年齢で歳をとっていることを喜ばない文化になったということを示しています。

江戸時代だったら、実年齢より元気な年寄りには「丈夫ですねー」とか「かくしゃくとしてますねー」とは云っても、「お若いですねー」とは云わなかったのだと思います。
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【言葉】元(もと)

朝日新聞の記事より引用します。

プロ野球・巨人の投手らによる野球賭博事件で、賭博開帳図利幇助容疑で逮捕された笠原将生容疑者(25)が、警視庁の調べに「1試合最大で100万円程度賭けた」と説明していたことが、捜査関係者への取材でわかった。
(略)


記事内容については特別な関心はありません。興味をもったのは「元投手」という言葉です。

「元投手」と聞くと、投手だったのが内野手か外野手かにポジション変えをしたように思ってしまいます。投手のまま引退したというのであれば、「元プロ野球選手」とか「元巨人軍の投手」といった書き方ならまだ分かります。

しかし、それでも足りないところはあります。

野球賭博に手を染めたのが現役の野球選手時代で、逮捕された時点で引退していたから「元」なのか、引退後に野球賭博をして捕まったから「元」なのか、はっきりしません。

どちらも違法賭博なので悪いことなのですが、現役選手がやったとなると意味が違います。

明確に区別がつく言葉が欲しいです。

【言葉】「暴行」

1月11日の朝日新聞の記事から引用します。昨日の記事の別の部分です。

事件は昨年12月31日の深夜から元日の未明にかけて、ゴシック建築が美しいケルン大聖堂が見下ろす中央駅周辺で起きた。年越しを祝う群衆にまぎれ、男らが集団で通行人の女性を取り囲み、痴漢行為や暴行に及んだり、財布やハンドバッグなどを奪ったりしたという。


痴漢行為と並んで「暴行」と強盗が行われたと報じています。

「暴行」というだけでは、何が起きたのか分かりづらいものがあります。

広辞苑で「暴行」をひいてみました。

1)乱暴な行い。
2)暴力を他人に加えること。
3)強姦すること。

つまり、「暴行」だけだと、暴力行為があったのか強姦があったのかが分かりません。

被害者の感情に配慮して婉曲な表現を用いるということであれば理解できなくもありません。しかし、強姦されたのを単に殴られたくらいに思わせるのが適切だと思いませんし、殴られたのを強姦されたかのごとく錯覚させるのも正しいとは思えません。

報道は何が起きたのかを正確に伝えるというのが使命です。あいまいな言葉を使うことで、過剰に排外主義が蔓延することや、逆に警戒すべきところを緩むようなことがあっては困ります。

「暴行」というあいまいな言葉は、報道では使うべきでないと思います。

【言葉】挑戦

8月18日朝日新聞の投書欄に高校の国語教師(54歳、女性)の投書が載りました。

(略)
 私は高校の国語の教師である。今回の談話では主語や指示語の内容が明確でなく、今後、拡大解釈を可能にしてしまう言い回し等に違和感を覚えた。だが違和感どころか、どうしても納得のいかない思いを抱いたのが、「挑戦」という言葉の使い方である。日本が侵略や植民地支配へと突き進んだ事実を、「国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした『新しい国際秩序』への『挑戦者』となっていった」と表現している。
 言うまでもなく、「挑戦」の語意は「危険や失敗を恐れず、困難な事に立ち向かうこと」だ。私も常日頃、クラスの生徒たちに学級通信を通して「何ごとにも挑戦しよう」と呼びかけている。日本の過去の過ちを「挑戦」という言葉でくくってしまってよいものか。それを挑戦というなら、犯罪者もテロリストも「秩序への挑戦者」ということになってしまうだろう。
 未来を生きる若者たちに、今後、真の挑戦者であってもらうためにも、談話の中の「挑戦」という言葉を撤回してもらいたい。


70年談話への批判は色々ありますが、今回は、「挑戦」という言葉を悪い意味で使ったのがけしからん、というものです。

しかし、“挑戦的な態度”、“怪盗からの挑戦状”、“「立憲主義」への挑戦”など「挑戦」という言葉を否定的な意味で使う例はいくらでもあります。

ウルトラQの第19話の副題は「2020年の挑戦」でした。この副題の意味は判然としませんが、肯定的な意味だとは思えません。

広辞苑で「挑戦」を引いてみますと

たたかいをいどむこと。「---状」


とありました。投書子のいうような、「危険や失敗を恐れず、困難な事に立ち向かうこと」というのは、意味の一面だけを見ています。

「挑戦」は良い意味にも使われますし、悪い意味にも使われます。

私からすれば、犯罪者やテロリストを「秩序への挑戦者」と呼ぶことになんのためらいも感じません。

国語教師の投書としてはおそまつな意見です。

【言葉】「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という言葉があります。

よく考えると「愚者は経験に学ぶ」の部分の意味がよくわかりません。「賢者」に対応して「愚者」と出てくるわけですから「経験に学ぶ」ことが悪いことである、という意味のはずです。しかし「経験に学ぶ」ことのどこが悪いのでしょうか?

私は、これを自分の体験を絶対視する態度を戒めたものだと考えていました。職場でも居ますが、かつてあるメーカーのデータベースのバグで苦労したエンジニアが別のトラブルに遭った際にOSやらアプリやらをほとんど疑わずに、データベースのバグばかり調べるといった態度です。これに対して、歴史に学ぶ賢者は、自分の体験だけにとらわれず考察できるので正解に近づきやすい、ということです。

しかし、先日読んだ「愚民文明の暴走」(呉智英、適菜収)に違う解釈が載っていました。

まず言葉の出典から

適菜:「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という言葉があるじゃないですか。
呉:有名な言葉だけど誰だっけ?
適菜:ビスマルクという説が有力なんですけど、実はビスマルクは言っていないという説もある。セネカではないかという人もいるけど、セネカでも見つからなかった

(P143)

誰の言葉か分からないようです。

次に語句の解釈です。

適菜:それで他の客(注:パチンコの客)を観察していたんですが、リーチがかかって大当たりがきそうになると、朝一番でやってくる常連のババアが、興奮してパチンコ台をバンバン叩いたりするんですよ。そして、実際に当たると、自分が台を叩いたから当たったかのような満足げな顔になる。つまり、「人間は自分の行動と世界との間に因果関係を無理やり見出す」ということをビスマルクは言いたかったのではないかと。
呉:そういう意味か?違うと思うけどなぁ。
(略)
呉:適菜君が言った「愚者は経験に学ぶ」というのは、たぶん深い意味があるわけではなくて「愚者は失敗して初めてわかるよね」くらいな意味ではないかと思う。
適菜:そんな単純なことだったのか!

(P144,P146)

適菜氏の説は私にはピンと来ません。もとの言葉からそういう解釈をするのは飛躍がありすぎるように思います。呉氏の説の方は言葉と意味が自然につながっていますので、私の説よりも正しいような気がしてきました。

もっとも出典がわからないのですから、どれが「正解」と決められないのでしょうが・・・


愚民文明の暴走愚民文明の暴走
(2014/06/25)
呉 智英、適菜 収 他

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Author:えいび
日々の出来事、映画やアニメの感想です。

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