【テレビ】ダークサイドミステリー:「超能力の謎を解明せよ! ~千里眼事件の光と闇」
明治期日本でおきた千里眼騒動を追います。
明治42年(1909)5月:東京帝国大学に、熊本の御船千鶴子という女性の透視能力の調査依頼がある。福来友吉助教授(39)がこれに応じる。
明治43年4月:熊本で透視能力の実験。それらしき結果が得られる。
同年9月:京都にて再試。透視させる紙を、鋳つぶした鉛管の中に入れたところ透視は失敗する。実験の条件を緩めることで最終的に透視は成功する
9日後:東京で公開実験。東京帝国大学の学者9人が見守る。鉛管の中の透視に成功したかに思えたが、鉛管そのものが御船によってすり替えられていることが発覚。しかし、大きなプレッシャーの中でのこととして大きな問題にはならなかった。
9月17日:再実験。透視する紙を慣れ親しんだ茶壺にいれる方法にしたところ成功。日本中で透視がブームになる。
明治43年11月:四国で長尾郁子(39)という女性があらたな透視能力者としてあらわれる。京都帝国大学が張り合う形で長尾の調査を始める。調査に赴いたのは当時学生の三浦。三浦の実験は組織だったもので、漢字ではない模様だったり、色違いの文字だったりを比較して透視させた。その中でX線が関わっているのではないかと感光紙を透視させる実験もした。結果、感光紙が感光していた。マスコミがこれを大々的に発表したため、京都大学はこの実験に大学当局は関与していない、と梯子をはずす。
同年12月:福来は、長尾の透視で感光紙を感光するなら、念写(思った文字を感光させる)もできるのではないかと考える。長尾は念写に成功
明治44年1月16日:東京帝国大学の蒔教篤講師がこれらの千里眼は手品であると告発。福来は孤立する。
同年同月18日:御船自殺。自殺の理由は不明
一カ月後:長尾、インフルエンザで病死
御船と長尾の死によって、千里眼が本当だったのか手品だったのかの結論はあいまいになった。
■感想
ここら辺の千里眼騒ぎは、うっすらと聞いたことがあります。小説「リング」の元ネタにもなった事件です。この番組で時系列的に事情を知ることができました。
御船千鶴子のやったのは、やはり怪しい感じです。新発見をしたい学者たちにあおられたのかもしれません。
長尾郁子の方がよくわかりません。蒔は手品と告発していますが、具体的にどうすればあんなことが実現できたのか想像できません。千里眼や念写を信じているわけではありませんが・・・
明治42年(1909)5月:東京帝国大学に、熊本の御船千鶴子という女性の透視能力の調査依頼がある。福来友吉助教授(39)がこれに応じる。
明治43年4月:熊本で透視能力の実験。それらしき結果が得られる。
同年9月:京都にて再試。透視させる紙を、鋳つぶした鉛管の中に入れたところ透視は失敗する。実験の条件を緩めることで最終的に透視は成功する
9日後:東京で公開実験。東京帝国大学の学者9人が見守る。鉛管の中の透視に成功したかに思えたが、鉛管そのものが御船によってすり替えられていることが発覚。しかし、大きなプレッシャーの中でのこととして大きな問題にはならなかった。
9月17日:再実験。透視する紙を慣れ親しんだ茶壺にいれる方法にしたところ成功。日本中で透視がブームになる。
明治43年11月:四国で長尾郁子(39)という女性があらたな透視能力者としてあらわれる。京都帝国大学が張り合う形で長尾の調査を始める。調査に赴いたのは当時学生の三浦。三浦の実験は組織だったもので、漢字ではない模様だったり、色違いの文字だったりを比較して透視させた。その中でX線が関わっているのではないかと感光紙を透視させる実験もした。結果、感光紙が感光していた。マスコミがこれを大々的に発表したため、京都大学はこの実験に大学当局は関与していない、と梯子をはずす。
同年12月:福来は、長尾の透視で感光紙を感光するなら、念写(思った文字を感光させる)もできるのではないかと考える。長尾は念写に成功
明治44年1月16日:東京帝国大学の蒔教篤講師がこれらの千里眼は手品であると告発。福来は孤立する。
同年同月18日:御船自殺。自殺の理由は不明
一カ月後:長尾、インフルエンザで病死
御船と長尾の死によって、千里眼が本当だったのか手品だったのかの結論はあいまいになった。
■感想
ここら辺の千里眼騒ぎは、うっすらと聞いたことがあります。小説「リング」の元ネタにもなった事件です。この番組で時系列的に事情を知ることができました。
御船千鶴子のやったのは、やはり怪しい感じです。新発見をしたい学者たちにあおられたのかもしれません。
長尾郁子の方がよくわかりません。蒔は手品と告発していますが、具体的にどうすればあんなことが実現できたのか想像できません。千里眼や念写を信じているわけではありませんが・・・
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