7月6日 朝日新聞朝刊 オピニオン欄より。
論争のテーマは次のものです。
原子力発電をどうしていくべきか。誰かが決めなければいけない。初めての国民投票を行って国民が直接決めるのか、それとも国民に託された国会あるいは政府が担うべきか。推進論と慎重論を聞いた。
みんなで決めよう「原発」国民投票事務局長の今井一氏が推進論、民主党衆院議員の前原誠司氏が慎重論で、それぞれの立場から意見を述べています。
国民投票自体に反対というわけでもありませんが、両氏の意見を読んでみて、前原氏の意見の方が妥当だと思いました。
前原氏の意見から見ていきます。
原発について私は、20年なら20年と期間を区切って徐々に止めていく、しかしその間は安全性を高め、代替エネルギーの導入で経済全体に大きな影響を与えないようにし、さらにこれを日本の新たな強みにしていくような「電源のベストミックス」を提案していくべきだと考えています。
この意見だと、単純にイエスともノーとも言えなくなります。多様にある意見を無理に単純化するのはいけないいう指摘です。この意見には完全に同意できます。
一方、今井氏が発言を見ていきます
スイス、フランスの国民投票も取材しました。調べたら、世界中でこれまでに1100件以上、行われています。でも日本では建国以来、一度もありません。民主主義国として異常でしょう。
今井氏が紹介しているのは、
・スイスとフランスで国民投票を取材した。(つまりスイスとスランスでは国民投票をしている)
・世界中で1100件の国民投票が行われた。
の二点です。
日本を除く世界中の民主主義国が国民投票を実施しているというなら、確かに異常といえます。しかし、今井氏の言では、特定の国に偏っていることがうかがわれます。日本を異常に見せかけようとしているとしか見えません。こうした姑息なことをしているようでは信用できません。
次の意見はどうでしょうか。
脱原発か原発容認かは、憲法9条を変えるか変えないかに匹敵する、この国の未来を左右する問題です。国会や政府、一部の政党や政治家、官僚が決めていいことではありません。主権者である国民が自ら選択すべきです。
政治家を選んだのは国民です。政治家が決めても、国民が選択しなかった、ということにはなりません。ただし公平に言えば、政治家を選んでいるのであって政策を選んでいるわけではない、というのは確かです。国民投票を頭から否定できない理由がここにあります。
メリットとしてあげているのか次です。
国民投票が実現すれば、性別や納税額で差別されない普通選挙が初めて行われた時に匹敵するインパクトがあると思っています。日本の民主主義の歴史の新たな1ページになるでしょう。
情緒としては分かりますが、具体的ではありません。
全体として、前原氏の提出した二元論の危険性を払拭できるような意見でもありません。二元論に陥る危険をどう解決するのかを示してくれたら国民投票賛成にまわるかもしれませんが、今の段階では慎重論にくみします。