7月22日朝日新聞朝刊オピニオン欄。韓国の英文学者・羅英均氏(1929年生まれ)のインタビューです。
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「45年10月に学校で勉強が再開されたとき、日本語で書かれた教科書はみな捨てられました。でも多くの学生はハングルの読み書きができない。獄中から解放されたハングル学者が1週間特別に教えに来ました。漢字を韓国語でどう読むか、先生も学生もしどろもどろ。混乱は数年続きました」 「私は日本人子弟のための幼稚園や小学校で学び、日本語しか分からなかった。家でもお父さん、お母さんと呼び、物事を考えるのは日本語で、日本的な要素が血液の中まで浸透していました」
「自分自身が文化的な異端者だと感じたこともあります。日本は朝鮮半島を植民地にし、民族の言葉と名前を奪った。私たちの存在を否定するに等しい、罪深いことでした」
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――ところで、どうして幼稚園から日本人と学んだのでしょう。
「父は韓国が日本に併合された1910年に東京に行き、現在の東京工業大学で学びました。アナキストとして知られた大杉栄に傾倒して、朝鮮の独立運動に関わり逮捕されましたが、旧満州(中国東北部)でゴムの履物工場をつくり、成功したのです」
「奉天(現瀋陽)で12歳まで育った私を父はレベルが高い日本人の学校で学ばせた。父はかつての自らの留学についても『同化ではない。一歩先に近代化を進めた日本に追いつくため』と考えて、日本語もその道具とみていました」
――西欧文明受け入れの手段としての日本語ということですね。
「明治以来の日本の翻訳文化はすばらしかった。多くの国の外国文学や思想を日本語で読めました。私が英文学を一生の仕事とする下地になったのも、父の蔵書だったシェークスピア全集を、大学に入る前に読んだことでした」
――日本語で?
「坪内逍遥の訳でした。近代日本が発展した土台には西欧文化の巧みな取り入れがあった。それは韓国をはじめアジア諸国が認めるべきことだと思います」
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――歴史や文化の異なる相手を血の通った人間とみるには、何が大切でしょうか。
「まずは相手の言葉を知ること、次に相手の国を訪ねることでしょう。1950年代に生まれた私の子供たちの世代は、日本の苛酷な植民地支配によって当時の朝鮮は搾取されたと授業で習いました。その娘が20代のころ、日本に数カ月仕事で滞在して、帰ってきたら、習ったことと全然違うね、と言いました。日本人の秩序意識、丁寧な仕事ぶり、ちょっとぶつかっても、すみませんと謝る、そんなことに驚いたようです」
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(聞き手・桜井泉)
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日韓併合について、朝鮮半島の人たちがわだかまりを感じているのは理解できます。しかし、言っていることのなにもかも受け入れるべきだとも思いません。
羅氏が「
日本語しか分からなかった」のは、「
日本人子弟のための幼稚園や小学校で学」んだためであり、その学校に行ったのは、「
レベルが高い日本人の学校で学ばせた」という父親の教育方針のためです。
他の多くの学生は「
ハングルの読み書きができない」と言っていますので、朝鮮語を喋ることはできた、と思われます。羅氏がわざわざ自分は「
日本語しか分からなかった」と言っているということも、他の学生は朝鮮語ができたということを裏付けています。
それに、多くの学生ができなかった、というのは少数の学生はできたということです。さらに日本の支配は35年程度ですので、学生はまだしも先生も読み書きできないというのは別の事情が考えられます。日韓併合前から多くの朝鮮の住民はハングルの読み書きができなかったとも考えられます。
「
漢字を韓国語でどう読むか」という問題に直面したのは、羅氏も認めているように、西洋の思想を日本語を通して理解していたからだと思います。それを朝鮮語に翻訳する(つまり韓国語でどう読むかを決める)のは、あくまで独立後に朝鮮の人たちがすべきことです。
簡単に、日本が「
民族の言葉」を奪ったと言っていますが、朝鮮語の会話能力と、ハングル文字の読み書きと、西洋由来の概念を朝鮮語でどう表現するか、というのはそれぞれ別の問題です。明確に分けて論ずるべきところを、混同して話しています。
羅氏のインタビューを読んでも、どこに日本の責任があるのか、よくわかりませんでした。
但し、一般的には他人の国を併合するというのは褒められたことだとは思っていません。あくまで、「
民族の言葉」を奪った、との羅氏の主張が分からないという意味です。
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羅氏の娘さんの言っていることもよくわかりません。日本人が「
秩序意識、丁寧な仕事ぶり、ちょっとぶつかっても、すみませんと謝る」ということを体感したからといって、「
日本の苛酷な植民地支配によって当時の朝鮮は搾取された」というのが間違いだということにはなりません。
もしかして、民族には善なる民族と悪なる民族に二分されるという前提があり、実際日本を訪ねてみたら、悪なる民族とは思えない、という理屈でしょうか。
そうだとすれば、あまりにもあさはかです。前提が間違っていますよ、としか言いようがありません。