【時事問題】核兵器廃絶決議に意味はあるのか?
日本が提出した核兵器廃絶決議が144カ国の賛成で採択された。核兵器禁止条約に触れず、核兵器の非人道性の表現を弱めたことなどから、核保有国である米英仏の支持を得られた半面、賛成は昨年から23カ国減った。
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27日の国連総会第1委員会。日本の決議案には多くの批判が出た。
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今年の決議案が、「核兵器の使用による壊滅的な人道的結末についての深い懸念」とした点などを指している。昨年は「核兵器のあらゆる使用による壊滅的な人道的結末についての深い懸念」と、「あらゆる」という言葉が入っていた。
「あらゆる」という言葉がないと、核使用を容認するような解釈を生む――というのが専門家の共通見解とされる。フランスの元外交官でシンクタンク「ジュネーブ安全保障政策研究所」のマルク・フィノー氏は「自衛のためなどの場合、合法的に核兵器を使用できうるという意味になる」と解説する。
また今年の決議案で批判が集まった中に、昨年の「核兵器の完全な廃絶を達成」という「明確な約束」を再確認する文言が、「達成」部分が削除され「核不拡散条約(NPT)の完全履行」に後退した点がある。NPTは核の使用を禁じていない。日本政府関係者によると、核保有国の支持を得るため交渉を重ねた結果、この表現でしか折り合えなかったという。
日本は1994年以来、毎年、国連総会に核廃絶決議案を提出し、核軍縮を世界に呼びかけてきた。決議には加盟国に対する「勧告」程度の強さしかないが、それゆえ、核を巡る立場の違いを超えて、多くの国々の賛同を得ることができる。昨年は167カ国から賛成を取り付け、日本政府が世界の核軍縮分野の「橋渡し役」としての存在感を発揮することを可能にした。
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「あらゆる」という言葉が入る入らないで大騒ぎするのは、法律家的な緻密な議論とも言えなくもありませんが、素人目にはくだらない点をつつきあっているようにも見えます。
今回の決議に棄権が増えたことを嘆くより、1994年から決議を重ねているのに一向に核兵器がなくならないことを嘆くべきではないでしょうか。ありていに言って、こんな決議をしようがしまいが、決議の文言がどうのこうのと議論しようが、核兵器はなくなっていません。
つまり無駄なのではないですか? 政治家と外交官が点数稼ぎでやっているだけではないですか?