2月22日朝日新聞朝刊の記事。 稲垣康介編集委員の『「分断」に屈しない星条旗の誇り』より
40以上の星条旗が振られる観客席を眺めながら、ふと頭に浮かんだ。緊迫の朝鮮半島とは違うけれど、あなたたちが暮らす米国も「分断」していませんか?
21日、私はアルペンスキー女子滑降の会場にいた。スタートは米東部時間20日午後9時。金メダルの呼び声高いリンゼイ・ボン(米)なんて負けてしまえ。そう念じる米国民が、少なからずいると想像しながら。
昨年12月、彼女はCNNのインタビューで、平昌五輪への抱負を口にした。「私は米国民を代表して戦いたい。大統領のためではなく」。移民への偏見など、排外主義が強いトランプ政権に反旗を翻した。
これが熱烈なトランプ支持者の怒りを買った。100万を超すフォロワーを持つ彼女のツイッターは「非国民」「狂ったリベラル」などの中傷であふれた。面と向かって言えないことを匿名で書き殴る。ネットの陰湿性が醜い顔を出した。
(略)
日本ならどうだろう。大抵の競技団体は国家予算からの強化費に依存する。声高に政権批判をしたりして、スポーツ予算を減らされたくない。私は日頃から「物言えば唇寒し秋の風」の萎縮ムードを日本のスポーツ界に感じている。
あっ、例外を思い出した。ソチ五輪のフィギュアスケート女子代表、浅田真央だ。
ショートプログラムで16位と出遅れたとき、2020年東京五輪・パラリンピックの大会組織委員会会長、森喜朗氏が「あの子は大事なときに必ず転ぶ」と失言した。元首相である森氏の日本スポーツ界への影響力は、今なお健在だ。
帰国後、浅田は森氏の発言について聞かれ、「私は別に何とも思っていないですけど、森さんが今、少し後悔しているのではないかなと思います」。国民的な人気を誇る「真央ちゃん」だから角が立たなかった。
ボンの話に戻る。この日の滑降は1位と0秒47差の銅メダルだった。晴れがましい笑顔で、ボンは報道陣の前に立った。最後にSNSについて質問が飛んだ。
「SNSは人をおとしめるのではなく、勇気づけるために活用すべきだ。励ますことがスポーツの価値だし、ここは五輪の舞台。私が崖から落ちて死ぬのを願うより、すべての国の選手たちに声援を送るべきだ」
(略)
リンゼイ・ボン選手のツイッターでの中傷事件についてはこの記事で知りましたので、あくまでこの記事に書いてあることのみを手掛かりにして私見を述べます。
また次のことも断っておきます。私はトランプ大統領のことは好きでも嫌いでもありませんし、米国人ではないので支持するもしないもありません。
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ボン選手の「私は米国民を代表して戦いたい。大統領のためではなく」というのは正論と言えば正論です。自国の政治家のために戦うことを誓うオリンピック選手なんておかしいです。
しかし、わざわざ「大統領のためではなく」と言う理由がわかりません。これでは喧嘩を売っているようなものです。いい大人のすることとは思えません。
それでいて「SNSは人をおとしめるのではなく、勇気づけるために活用すべきだ」と言うのはどうなのでしょう。自分のことを棚に上げて、それに無自覚です。
もちろん、独裁国家でその独裁者に反対している選手が命がけで言うなら分かります。しかし米国は独裁国家ではありません。せいぜいSNSで叩かれるぐらいです。
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”権力者と戦う米国人アスリート”みたいな記事だと、ひるがえってみて日本は・・・、と続くのではないかと思っていたら案の定そうなりました。
しかし稲垣編集委員の指摘は的外れです。わざわざ”自国の政治家のために戦うんじゃない”と宣言するのは普通ではありません。稲垣編集員が言わないところをみると、オリンピック選手でそんなことをいったのは米国のボン選手一人だけなのでしょう。
日本の選手が国のひも付きだからボン選手と同じことができない、というのは邪推です。
稲垣理論に従えば、ボン選手をのぞくすべてのオリンピック選手が自由に発言できていないことになります。
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浅田選手のエピソードをここに出すのは変です。
浅田選手が”森さんのために滑っているんじゃない”と言ったのなら、確かにボン選手と似ています。しかし浅田選手が言ったのは「私は別に何とも思っていないですけど、森さんが今、少し後悔しているのではないかなと思います」という森氏に優しいコメントです。
ここで紹介する意味がありません。
稲垣編集委員が浅田選手を好きだから書いただけでしょうか。