1969年7月5日AM0:40 サンフランシスコ郊外のヴァレッホ市の警察に電話がある。「二重殺人の報告がしたい。実は去年も同じように殺しをしている・・・」
その40分前に確かに事件は起きていた。車の中のカップルが10発の銃弾をうけ、22歳の女性は死亡。20歳の男性は一命をとりとめる。
電話にあったように1968年12月20日に、やはりカップル二人が射殺される事件があった。
今年と去年のカップルに共通点がなかったことから無差別連続殺人だと判明した。
8月1日(金)。地元の新聞サンフランシスコ・クロニクルとエグザミナーとタイムズ・ヘラルドに犯人を名乗るものからメッセージが届く。1日までに同封の暗号文(三社で別の内容)を掲載するように要求。従わない場合はさらに殺人を重ねると警告。
サンフランシスコ・クロニクルは夕刊を持っていないので掲載を見送り。エグザミナーは犯人から手紙が来たことを報じるが暗号文は掲載せず。タイムズ・ヘラルドは1面に暗号文を載せる。
翌日になって出遅れた二社もそれぞれ暗号文を掲載した。
いわゆる「劇場型犯罪」のはじまりである。
読者は暗号文解読に夢中になり、その中で高校の教員が警察よりはやく暗号を解いた。主要部分は次のとおり。
「俺は人間を殺すのが好きだ。なぜなら楽しいからだ。
「俺は自分の名前を貴様たちに明かしたりしない。貴様たちに俺が死後の奴隷を集める行為を邪魔も阻止もされたくないからだ
9月27日PM4:00.第三の事件発生。22歳の女性と20歳の男性のカップルがめった刺しにされた。女性は死亡。男性は生き残る。今までと違い人気のあるところでの犯罪だった。
新たな暗号文が送られてくる。この暗号文は現在に至るも解読されていない
10月11日PM9:30.サンフランシスコ市内でタクシーの運転手が客に射殺された。その後サンフランシスコ・クロニクルに運転手から奪った血まみれのシャツを同封し、あらたな犯行予告が送られる。
「学校に通う子供たちは格好のターゲットだ。いつか朝になったらスクールバスを襲ってやろうと考えている。前輪を銃で撃ちぬいて子供たちが慌ててバスから降りてくるのを狙い撃ちにしてやる」
10月22日AM2:00.警察に電話。
「俺が指名する弁護士を7チャンネルのトークショーに出演させろ。そうしたら番組に電話を入れる」
7チャンネル(ローカル局KGO-TV)は特別番組を組んだ。実際に「犯人」を名乗る人間から電話があった。やり取りが生放送で放映されるなか警察は逆探知に成功。電話の主は州立病院の患者で犯人ではなかった。
11月9日。7通目の手紙がサンフランシスコ・クロニクル社に届く。同封されていたのは手作り爆弾の設計図だった。
「もしお前たち警察が俺が言った通りの方法でバスを襲うなんて思っていたら自分の頭に穴を開けた方がいいぜ。
殺人装置はもうできあがっているんだよ
こいつのいいところは全ての材料が普通の店で手に入るということだ。
それもなんの質問もされずにな」
サンフランシスコ・クロニクルは爆弾設計図についての報道は控えた。
1970年4月29日サンフランシスコ・クロニクルに10通目の手紙
「俺に爆弾を爆発させたくなければバス爆弾のことを報道しろ。それも組み立て方まで細かくだ」
サンフランシスコ・クロニクルは要求をのんだ。
1974年まで手紙は送られ続けたが、その年を最後に犯人からの接触はなくなった。
その後、メディアは犯人のメッセージを軽々に報道することを控えるようになった。
■感想
日本でもグリコ・森永事件というのがあって犯人のメッセージがマスコミで報道されました。神戸の児童殺傷事件でも犯人の手記が新聞や雑誌で公開されています。
米国ではこの事件の後、犯罪者のメッセージの報道を控える風潮になっているようですが、日本ではまだそこまでに至っていないように思います。
それというのもこのゾディアック事件はメディアで報道されることが次の犯行のエネルギーになっているようなところが見受けられ、報道しなければ犯行は起きないことが予測されます。一方の、日本の事件の場合は犯罪者の勝手な言い分を流すのがいいのか、それとも広く事実を報じるのがメディアの責務なのかという道徳的な判断の問題に過ぎないからでしょうか。