「追う DNA捜査」の「下」。「採取拒否親族宅にも警察」を引用します。
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事件('96の上智大生刺殺放火事件)から20年あまりたった2017年5月。現場から徒歩数分の場所に住む男性(76)の自宅に、2人の男性が訪ねてきた。
「DNAを採らせてほしい」。訪問してきた2人は警察手帳を見せた。
男性の息子は小林さん(事件の被害者)と同じ地元の中学の卒業生だった。警察官は「犯人でないということを確認するため。近所の人たちにも協力してもらっている」と話した。
男性が「事件には関係ないので」と断ると、警察官は「協力しないということを確認していいか」と念を押すように言ったという。
それから2カ月後。他県に住む息子から「ポストに捜査協力のお願いという書面が入っていた」と連絡があった。息子は不在で、それきりだったという。
そのさらに1カ月後、別の県に住む兄から「警察がDNAを採りに来た」と電話があった。兄は「弟が応じていないのなら自分も応じない」と断ったが、やはり「協力しないと確認してよいか」と念を押されたという。
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DNAは、指紋と違い、親やきょうだいなど血縁関係者の情報も含まれている。本人が拒否した場合、血縁関係者から採るという手法は、こうしたDNAの特性を利用している。
現場近くの別の住民も、「個人情報」を理由に家族がDNA採取を拒否したところ、警察は知らぬ間に別の血縁関係者の元に行き採取していたと話す。
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こうした「捜査協力者」のDNA型は、容疑者でない限りデータベースに登録されることはない、と警察庁は説明する。ただ、住民からは「本当にデータは破棄されるのか」「事件を理由に個人情報を集めているのでは」といった不安の声も聞かれる。
「協力しないと確認してよいか」と訊くのは、どういう口調表情で言ったかにもよりますが、文面だけから判断する限り問題があるとは思いません。
「協力してください」
「できません」
「協力してくれないと確認してよいか?」
というだけの一連のやり取りです。その後、何かの嫌がらせをしたということもないみたいなので、これだけ見ると何が問題なのかわかりません。
親族のDNAを採取したいというのも、科学的な知見を利用しているだけ、そのこと自体が問題だとは思いません。
事件に関りがないなら捜査に協力してもなんら差し支えがないも言えます。
にもかかわらず、一般市民が、この記事では計4名が、警察への協力を拒否したのかを、警察は真摯に考えるべきです。
あやしいとみたら長時間拘束し自白に追い込むという違法すれすれの手法が知れ渡り、警察の言うことを額面通りに信じる人がすくないというのが現実です。
「容疑者でない限りデータベースに登録されることはない」という回答は人を小馬鹿にしたもののように聞こえます。
「容疑者」というのは警察が勝手に認定できます。逮捕するとなると裁判所が絡みますが、「容疑者」は警察があやしいと思ったら即「容疑者」です。
そもそも近所の住民全部があやしい(=容疑者)と思っているからDNAを採取してまわっているのでしょう。まったくあやしくないなら採取する必要はなかったはずです。
したがって、「容疑者でない限りデータベースに登録されることはない」というのは、登録するかどうかは警察が勝手に決める、と言っているのと同じです。後で「嘘の説明をした」となじられないための言い訳でしょう。
DNA採取について明文化した規則をつくり、裁判所なりなんなりの管轄下におくなどしないかぎり、まったく信用できません。