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【展覧会】「広重ブルー -世界を魅了した青」展

於:太田記念美術館

初代歌川広重を中心に、浮世絵で青色がどう使われてきたかを概観します。

歌川貞秀の「長崎丸山の図」(1830~48年)という絵がありました。長崎の港を描いたものですが、ここに蒸気船が描かれていました(小さいので蒸気船とは断言できません。説明書きでも蒸気船だろうと推測になっています)。私の拙い歴史の知識では、日本人が蒸気船を初めて見て驚いたのは1953年のペリー来航の時だと思っていました。この絵に描かれたのが蒸気船なら、ペリーより前に日本人は蒸気船を見ていることになります。そうなると、蒸気船というテクノロジーに驚いたのではなく、ペリーの威圧的な交渉に惑乱したというだけのことだったのでしょうか? 謎です。

本日は、1時間弱のスライド・トークがあったので、参加してきました。人気があるらしく会場は一杯でした。

5月28日までです。

放送大学の学生証で割引が効きました。

■スライド・トークのまとめ
・浮世絵の歴史は、元禄期の墨摺絵というモノクロが出発点。それが丹絵という2~3色を手で塗る方法に進化した。さらに紅摺絵というカラー印刷に進化し、最後に多色摺の錦絵で完成する。

・錦絵になっても、青をあらわすのは非常に困難だった。当初は露草や藍を使っていたが、鮮やかさに欠けることや退色しやすいという欠点があった。そこでベロ藍(プルシアンブルー)が登場する。

・ドイツで化学合成によるベロ藍という顔料が発明され、中国経由で日本に持ち込まれた。1930年に浮世絵で用いられるようになった。

・北斎の富嶽三十六景や広重の東海道五拾三次などの浮世絵の黄金時代の作品にはベロ藍がふんだんに用いられている。いわば「青の時代」である。

・役者絵でベロ藍の使用率を調べると、1929年には0%だったものが、1930年の終わりには34.0%、1931年の終わりには86.0%のとなっている。(役者絵をサンプルに選んだのは、歌舞伎の演目の記録が詳細に残っているので、描かれた時期がはっきりしているから)

・その後も広重は、風景画を縦長の画面にするなど様々な工夫と研鑽を重ねた。

・明治期になると、アニリンという顔料が輸入されるようになり浮世絵に赤がふんだんに使われるようになった。これらは赤絵と称するようになった。

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