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【朝日新聞】父を捜して:オランダ日系2世の戦後69年(中)

朝日新聞の特集「父を捜して」は、オランダ日系2世を取材しています。6月2日の朝刊はその二回目です。

 オランダ南部のブレダ市。日系2世のロン・マイヤーさん(68)の父は「イサム・クニバ」という。母トゥルースさん(85)の、忘れられない初恋の人だ。
 トゥルースさんは、オランダの植民地だったインドネシアで生まれた。オランダ系白人とインドネシア系住民の血を引く。1942年に日本軍に占領された後、16歳のとき、故郷スラウェシ島のマカッサルで「クニバ」と出会った。
 10歳年上。海軍の白い服装だった。軍が女性や労働者を集めにきたときは、かくまってくれた。生活に必要なものを家に持ってきては、泊まるようになった。妊娠を告げると、喜んだ。だが、まもなく敗戦。「一緒に日本へ」と誘われたが、母が許さなかった。
 「5年待ってくれ」。そう言って彼は去った。
 トゥルースさんは当時を振り返り、目を赤くした。ロンさんを産んだ後、オランダ人と結婚。日本軍の捕虜として働かされた長崎で被爆し、インドネシアに戻ってきた男性だった。一家は50年にオランダへ。新たに6子をもうけたトゥルースさんは、ロンさんに「クニバ」のことを秘した。
 ロンさんは46歳の時、原因不明の体調不良に苦しんだ。心理的な問題があるのでは、と医師に指摘された。継父につらくあたられた過去に思い当たった。
 実子ではないのでは?
 両親に問うと、実父は日本人だと明かされた。「捕虜や民間抑留者を残酷に扱った日本人の子なのか……」。ショックだった。
 98年、ロンさんは外務省の招きで、継父らと初めて日本を訪れた。市民との交流会で、継父は悲惨な捕虜時代のことや被爆の体験を語った。ひとりの日本人男性が「私の父の世代が、あなたにしたことを許してもらえますか」と頭を下げた。「忘れないが、許します」。継父は言った。つらくあたられたわけが、理解できた。自分が日本人の子だったからだ。だが、「自分も継父と同じように、許そう」と思った。3年後、継父は亡くなった。
(略)
(編集委員・大久保真紀)


捕虜を虐待するというのは、国際法以前に文明国として許されないことです。虐待されたというのであれば、日本には責任があります。しかし、自分がしたことでもないのに、あたかも日本全体の代表になったかのような気分で「私の父の世代が、あなたにしたことを許してもらえますか」などと謝罪する日本人市民の気がしれません。そういう行いは、逆に不誠実に感じます。

そのことは置くとしても、日本の不当な行為を直接関与していない一市民が謝罪したとなると、このオランダ人は、インドネシアの人に謝らないとおさまりが良くありません。

オランダ人も悪いことをしたのだから日本人も謝らなくていい、ということを言いたいのではありません。単に日本人であるというだけの人の謝罪に対して、自国のことを(もしかしたら当人も関与していることを)棚に上げて、「忘れないが、許します」などとのたまうのには笑ってしまいます。
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