【朝日新聞】(社説余滴)似ている。けれど違う

1月29日朝日新聞朝刊、オピニオン欄の「社説余滴」のコーナー。国際社説担当・箱田哲也さんの「似ている。けれど違う」は、日本と韓国は一見似ているところがあるので、互いに同じと考えてしまい、ひとたび違いが表面化すると対立が深まる、ということを述べています。

 韓国の朴槿恵大統領の名誉を記事で傷つけたとして、産経新聞記者が韓国の検察に起訴された一件は、無罪判決が確定した。
 (略)
 今回の件は、今後の日韓関係を考えるうえで、改めて示唆するものが多かったと思う。その一つが両国間の「違い」の問題だ。
 日本に比べ、韓国メディアでは「言論の自由の危機」というとらえ方は少なかった。
 何人かの韓国の記者に理由を聞くと、おおむね二つの答えが返ってきた。誰もうのみにしない「証券街の関係筋」の話を引用したため記事が悪意的と映った。そして、そんな情報をもとに独身女性の大統領の異性問題を取り上げたため、真に守るべき「自由」にあたるのかという疑問が生じた、という指摘だ。
 特に後者については、長く朝鮮半島報道にあたってきた日本人記者のOBらも「あれはまずかった」と漏らした。儒教意識が強い韓国は極めて倫理志向的であるうえ、韓国の大統領は王と政治指導者の中間ぐらいに位置するなどと言われるからだという。
 一方で韓国メディアは、国家運営上の失政などに関しては、大統領にも容赦ない批判を加える。それだけに、言論の自由の危機といわれてもピンとこないのだろう。
 4年前、当時の李明博大統領が天皇への謝罪要求ともとれる発言をした時のことを思い出す。李氏は趣旨が誤解されたと必死で釈明したが、後の祭り。あまりに強い日本の反発ぶりに韓国では、天皇とはどんな存在なのかが大きな話題となり、日本研究者への問い合わせが相次いだ。
 中傷や扇動が目的の言動は問題外だが、共通の文化圏に住む、似たもの同士ゆえに気づかない部分も少なくない。
 「同じだ」という意識は過剰な期待や甘えにつながりやすく、それがかなわなかった時には大きな失望や強い敵対心すら招きかねない。
 似ている。けれど違う。
 互いにこう認識することで、避けることができる無用な衝突もあるのではないか。


日韓や日中について分析をするうえで、見た目は似ていることで小さな違いで互いに嫌悪感をもつことがある、という言説はよく見聞きします。例として、茶碗の持ち方などがあります。

確かに、茶碗の持ち方に普遍的なルールがあるわけではなく、それぞれの文化的な違いでしかありません。それで、相手の文化を劣っていると決め付けるのは間違っていると思います。

しかし、朴槿恵大統領の噂報道はそれとは異なります。言論の自由の侵害と考えたのは日本だけではありません。世界から懸念が示されていました。つまり韓国VS日本ではなく、韓国VS世界、という構図でした。

日本と韓国の文化的違いに根差した衝突という分析は誤りです。韓国が世界基準と違う行動をとったというのが客観的な事実です。

「日本人記者のOB」の意見も眉唾です。そもそもは韓国の新聞が報道したものを産経新聞が紹介したのに、起訴されたのは産経新聞だけです。「儒教意識」など関係ありません。おそらく、産経新聞を叩けるチャンスとみて起訴したのでしょう。

李前大統領の発言が、同じ文化圏だと思ったので日本の天皇観を見誤った、という分析も疑問です。たとえ対立していても、政治権力をもたない外国元首に対して非礼な態度をとらないのは普遍的なルールであり、李前大統領の件以外に例を聞いたことがありません。つまり日本が特殊なのではなく、李前大統領が(韓国が)特殊だったのです。

互いに、たくさんある外国の一つと認識すべきだ、ということであるなら、同意します。
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