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【朝日新聞】スポーツと国歌

8月23日朝日新聞朝刊のオピニオン欄。「耕論」のコーナーで「スポーツと国歌」というテーマを取り上げています。

朝日新聞の問題提起は次のものです。

「国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない」。選手団壮行会で、来賓からこんな発言も飛び出したリオ五輪が閉幕した。スポーツと国家、個人のかかわりを、改めて考えたい。


壮行会の件は、式次第に「独唱」とあったので、参加選手が歌わないのは当たり前です。これで歌いだしたら、日本語が分からんということで、そっちの方が「日本の代表ではない」です。文句をつけた森元首相が間違っています。

それはともかく、国際スポーツ大会で君が代が演奏される際に歌わない選手に対して、ネットで非難が集中することがよくありました。「国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない」という発言の源流かもしれません。

私は、常々こうした意見には違和感を持っていました。こういう場合は、選手は目を閉じて胸に手をあてるなどして聞き入る方が礼にかなっているような気がしています。

なんで、そう考えているのかというと、“万歳”です。

“万歳”の場合は、万歳される理由のある人は黙って頭を下げていて、周りが万歳を唱えます。自分もいっしょに“万歳”と唱和したら、漫才みたいです。

スポーツの国際大会も似たようなもので、国家の代表に選ばれた優れた選手を讃えるために国歌を流していると考えれば、選手は頭を下げて黙って聞き入るのが正しいように思います。

元サッカー日本代表主将・ガンバ大阪ユース監督の宮本恒靖氏の意見を引用します。

(略)
 サッカーの国際試合では、キックオフ前に両チームの国歌が流れます。その初めての代表戦のときもそうでしたが、僕は歌いませんでした。歌いたくなかったということではないんです。理由は特になくて、慣れていないことが大きかったような気がします。その後、A代表にも選ばれ、何十試合と国際試合を経験していくなかで、歌うようになりました。
 国歌が流れるのは、国際試合ならではのこと。そう考えると、聞きながら燃えてこないわけがない。今からこの国のために戦うということ、代表のユニホームを着られる喜び、誇り。そういうことを感じる瞬間です。自然と声が出るようになりました。
 僕の場合、ゲームに向かう準備の最終段階で、心を整えるという意味合いもありました。歌いながら心を落ち着かせ、ほどよい高揚を持って戦いに出て行く。いわば、ルーティンです。
 ただ、胸の中の思いは選手それぞれだし、どう表現するかも人によるものです。黙って目を閉じて、国歌を聞く選手もいます。その瞬間にどう振る舞うかは、意思の自由。心を一つにするためにみんなで歌うという方法もあるかもしれませんが、ルールを決める必要はないと思います。代表にいたとき、協会や監督から言われたことはないし、自分が主将のとき、決まりを作ろうとも思いませんでした。
(略)
 五輪の表彰式で、一番真ん中に国旗が掲揚されるという場面は、まさに喜びをもたらせた瞬間です。それを見ながら、誇らしいとか良かったとか、さまざまな思いがわくでしょう。その感情をどう表に出して、そして国歌を歌うか歌わないかも、選手それぞれですよね。見守ってあげてほしいなと思います。
(略)


歌わない選手がいても、必ずしも今の日本に反感を持っているからということではない、というのが分かります。

国歌を歌うとか歌わないとかで、日本代表に相応しいかを判断するのは性急すぎると思いました。
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