【朝日新聞】投書欄「どう思いますか」:“犯罪と向き合うため死刑廃絶を”

11月30日朝日新聞朝刊の投書欄。毎週掲載の、投書に対する反響の投書を載せる「どう思いますか」のコーナー。今週は、“犯罪と向き合うため死刑廃絶を”について。

北海道の大学生の男性(23)の死刑廃絶を求める意見がもとになります。それに対して賛成の意見、死刑存続派の意見と両方から投書がありました。

私自身は、死刑には反対です。代わりに終身刑を導入すべき、と考えています。理由は冤罪の可能性が捨てきれない、というだけです。それ以外に理由はありません。

まず、北海道の大学生の意見を見てみます。


 日本弁護士連合会は、2020年までの死刑制度廃止の提案を盛り込んだ宣言を採択した。死刑制度は命が関わるだけに様々な論点や意見があるが、僕は「死刑廃絶」を訴えたい。
 犯人が悪い。誰しも当たり前のように考えることだろう。しかし、「社会も悪い」のではないか。犯罪が起きた時、背景には社会の問題がある。犯人を悪者だと言うだけの社会でよいのか。そう思わない。
 犯罪の背景にある社会のひずみと向き合い、二度と同じことが起きないように考える責任が僕たちにはあるのではないか。加害者と社会が、市民と市民が対話をすることで犯罪の背景を言語化し、共有し、より良き社会に変えていくべきである。
 死刑は命をもって罪を償うのだから、究極の刑だ。しかし、それは加害者の声を消すことでもある。社会との対話の可能性を絶ち、永遠に真実を分からなくする恐れがある。社会が犯罪と向き合う時間を奪うという理由で、僕は死刑制度に反対する。
 (10月8日付掲載の投稿〈要旨〉)


若者らしい正義感が感じられます。私が23歳のときはもっとひねくれていましたので、まぶしく思います。

それはともかく、異論があります。死刑にしてしまうと、加害者の声が聞こえなくなる、ということですが、加害者の声は裁判中に聞いています。裁判が終われば、死刑でなくても、無期懲役でも有期刑でも、普通加害者は公に発言しません。そもそも、結審後に事件について発言を強要することは人権侵害だと思います。

したがって、死刑が「社会との対話」を絶つから反対、というのは理屈が合わないように思います。

次に大阪府の大学生(21)の意見です。
 

私も死刑廃止のご意見に大賛成です。被害者の遺族が何より求めているのは真実解明です。しかし、ずさんな捜査で真実がゆがめられ、再審請求で死刑判決が覆った例が幾つもあります。冤罪が後を絶たない現状のまま、「二次的殺人」が起きるのは許されません。
 冤罪の可能性を限りなくゼロにするために、取り調べ可視化の対象を拡大することなどに加え、加害者がなぜ犯行に及んだか、真実を徹底追究していく努力が欠かせません。
 死刑は犯罪の抑止力となるという考えにも、私は疑念を拭えません。「死刑が怖いからやめておこう」と考えて、犯行を自制する人がいるでしょうか。
 投稿された方が述べられたように、犯罪の背景にある社会のひずみの問題に私たち市民が向き合い、犯罪防止に向けた議論に発展させるべきだと考えます。


冤罪の可能性がゼロではないのに死刑はどうか、という点は賛成です。冤罪を減らすための努力が必要だ、という点も同意します。

しかし、死刑が抑止力にならない、という意見には反対です。

刑罰の変更(緩和)で犯罪が増えるかどうかは、死刑の代わりにどういう刑罰を課すのかを決めないと議論になりません。

極端な例ですが、死刑を止めて罰金刑にしたら、犯罪は増えるでしょう。しかし、死刑を止めて終身刑なら、あまり変わらないように思います。単純に、死刑を止めたら犯罪が増えるとか、変わらないとか言える問題ではありません。代わりの刑罰が問題なのです。

次は、福岡県のパートの男性(66)の意見です。

 確かに死刑については、人々が犯罪の背景にある社会のひずみと向き合う時間を奪うとか、冤罪の場合に取り返しがつかなくなるとか、様々な意見がある。しかし、それは加害者側に寄りすぎてはいないだろうか。
 この問題はやはり、被害者側の立場を第一に考えるべきだ。その意味で、私は死刑廃止には絶対反対だ。
 被害者が突然、命を絶たれる事件は後を絶たない。その犯罪とずっと向き合い、苦しむのは、社会ではなく被害者の遺族のはずだ。もし、犯人が終身刑で生き永らえるとしたら。刑務所で病気になれば治療を受けられるとしたら。私が被害者の遺族だったら納得できない。
 被害者の無念を晴らし、厳罰を求める遺族の気持ちを尊重するためにも、罪の重さに見合った刑罰として、死刑は存続させるべきだと思う。


冤罪の場合に取り返しがつかなくなる、という意見は「加害者側により過ぎて」などいません。冤罪という前提なのですから、加害者でもなんでもない人を死刑にしてしまう、ということです。

被害者遺族の感情を代弁できませんが、かならずしも終身刑が死刑より甘いとは思っていません。懲役20年とかだと、甘いと感じるでしょうが、終身刑なら遺族も納得できるのではないでしょうか。

次は、千葉の高校教員(54)の意見です。

 私は、被害者遺族の感情を脇に置いて死刑廃止に突き進むことはあってはならないと考える。
 日弁連の宣言では、終身刑導入や加害者の更生が進んだ際の減刑などを盛り込んでいる。刑に服する間に遺族との対話などを通じて反省を深め、更生につながるとの期待があるのかもしれない。
 しかし終身刑を導入した場合、加害者たちが皆、遺族が望むように反省を深め、更生するだろうか。そう期待するのは甘く、理想論にすぎると感じる。
 また、「社会も悪い」というご意見も、すべての犯罪に当てはまるとは思えない。恵まれた家庭、環境に育った人間が凶悪犯罪に走ることもある。その場合も社会のせいなのだろうか。
 犯罪を起こした者は相応の刑に服するべきだ。人の命を奪った者が、国家によって命を絶たれるのはやむを得ない。


私も、終身刑を導入してもすべての加害者が反省し更生することはない、と考えます。一生刑務所から出られないのですから、多分反省も更生もしないと思います。

それで構わないと思います。更生の見込みのない犯罪者を、すくなくとも再犯をさせないようにするのが目的です。死刑と終身刑に共通するのはその思想です。

犯罪を起こした者は相応の刑に服すべき、という意見には賛成です。しかし、それは終身刑でもいいのでは、というのが私の意見です。

次は、東京都も無職の女性(60)の意見です。

 私は死刑制度に反対だ。
 30年ほど前に死刑囚を扱った本を読み、彼らの死刑確定後の過酷な精神状態に衝撃を受けた。以来、本を読み、講演や集会に出て死刑について知れば知るほど、反対の思いが強くなった。
 たとえ重罪を犯した人間であっても、「生きる資格がない」と断じて抹殺する権利を、私たちは持っているのだろうか。国家が正義の名で命を奪うのは、個人の尊厳を重んじる憲法の理念に反するのではないか。だから、死刑廃止を盛り込んだ日弁連の宣言を歓迎する。
 無論、遺族の悲嘆や怒りに思いを致して宣言に反対の弁護士もいるが、犯人を処刑しても遺族の平穏な生活は戻らないし、真の慰めになるとは思えない。むしろ、遺族に寄り添うカウンセリング体制や犯罪被害者等給付金の拡充など、長期にわたる遺族支援こそ必要だと思う。


国家には死刑にする権利がない、という意見です。しかし、そんなことを言い出せば、有期の懲役に服させる権利があるのか、という意見だって成り立ちます。それでは刑罰そのものが成り立ちません。権利はある、ということにするしかないのです。

犯人を処刑しても遺族の平穏な暮らしは戻らない、というのは分かります。しかし、これも、そんなことを言い出せば、どんな刑罰にしたって、平穏な暮らしは戻らないのです。別に遺族のためだけに刑罰を課しているわけではありません。

遺族支援そのものは賛成です。
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