【朝日新聞】「勅語の縛り いまも」

3月26日朝日新聞朝刊。「政治断簡」のコーナー。編集委員松下秀雄氏の「勅語の縛り いまも」より

(略)
 「教育勅語には、良いことが書いてある」という声が、政界にも社会にも根強い。
 勅語には、父母に孝行、夫婦はむつみあい、といった徳目も記されている。そうであれば良いなと私も思う。
 けれど、自分を虐待した親に孝行できるか。暴力をふるう夫とむつみあえるか。同性カップルの存在を忘れていないか。世の中はいろいろなのに、一つの価値観を押しつけると人を苦しめないか。
 道徳の力は案外強く、思わぬところで私たちを縛っているのかも知れない。
 たとえば、シングルマザーやその子どもの貧困の背景に何があるのか。「母子家庭というだけで、『こらえ性がない』とみなされる」といった彼女たちの言葉を聞くと、結婚して「添い遂げる」という規範にあわないから冷遇されているように思えてくる。
 働き方もそうだ。日本では転職すると収入が減りやすい。非正社員の賃金は低い。一つの会社で「勤め上げる」という価値観にそぐわないからじゃないだろうか。
 道徳がすたれたという嘆きをよく聞く。でも私は、この社会にはいまなお、滅私奉公的な価値観が根強いから生きづらい、息をしにくいと感じている。
 再び、むのさんの言葉。
 「道徳というのは、先生からこうしなさいと言われてやるようなものじゃない。自分自身で感じ取るものなんだ」
 「試行錯誤しながら一緒に考えればいい」
 勅語を押し頂いたのとは違う、道徳とのつきあい方。
 そのほうがずっといい。


まず、シングルマザーに貧困層が目立つのは、賃金が低い職についているのが多数だからです。高給取り(例えば株のディーラーなんか)がシングルマザーであっても貧困ではありません。シングルマザーに対して世間の目が冷たいというのは、貧困の原因ではありません。シングルマザーを非難する道徳律がなくなっても、彼女らの年収があがるわけではありません。論理がおかしいです。

自分を虐待した親に孝行をつくせないというのは理解できます。しかし、そんなことを言い出したら、道徳律というもの自体が、成立しなくなります。成立しないのは教育勅語だけではありません。すべてです。

松下氏は、むの氏のことばを借りて、「道徳というものは」「自分自身で感じ取るもの」だという意見のようなので、教育勅語だけでなく、すべての道徳律を否定しているのかもしれません。

道徳は、あれをするな、これをしろ、という体系ですので、息苦しいというは確かです。一つの価値観を押し付けるのはよくない、というのもある程度は同意できます。しかし、「自分自身で感じ取るもの」を道徳とするのは無理があります。

朝日新聞だって新人記者に向かって、取材のときはあれをするな、記事を書くときはこうすべき、と規律の体系(要するに道徳)を教えていると思います。まさか、自分自身で感じ取らせてはいないでしょう。
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