【時事問題】「モンゴルへ帰れ」

3月の大相撲春場所で、モンゴル出身の大関が下位力士にたいして立会いの変化で勝ったところ、観客から「モンゴルへ帰れ」とやじがありました。これをヘイトスピーチとして非難する世論が高まっています。

まず、下位力士への立会い変化が許されるかどうかですが、私は相撲に詳しいわけではありませんので、意見はありません。ルール上許されているからいいじゃないか、という意見にも一理あるとは思いますし、勝てばいいってわけじゃないという意見も否定しがたいと思っています。

ここで取り上げたのは、変化の是非ではなく、「モンゴルへ帰れ」が民族差別にあたるのか、ということを考えてみたいからです。

私も、はじめこの野次を聞いたときは、“ひどいことを言うものだな”というごく一般的な感想でした。

しかし、状況をちょっと変えて考えて見ます。

秋田出身(どこでもいいのですが仮に秋田県出身としました)の新米力士がいるとします。入門したてのころは、横綱めざして稽古に励んでいました。しかし、数ヶ月もすると壁が見えてきたのか、言われるがままのダラダラとした稽古になってしまいました。親方から叱責の声が飛びます。「秋田に帰れ!」。

このエピソードを聞いても、誰も秋田県差別だとは思いません。厳しい叱責だな、と思うだけです。

秋田出身を、ハワイ出身に置き換えます。「ハワイに帰れ!」又は「アメリカに帰れ!」。

これも同じです。アメリカ差別だと思いません。

ならば、モンゴル出身の力士に親方が叱責するのに「モンゴルに帰れ!」と言っても問題ないはずです。しかし、世間に漏れたら、問題視されるかもしれません。

親方の発言と観客の野次は別かもしれませんので、稽古場ではなく、本場所に状況を置き換えます。

秋田出身の大関が下位力士に変化で勝った際に、「秋田に帰れ!」という野次はどうでしょうか。

差別だとは思えません。叱責なのか、見離しているのかはわかりませんが、“そんな勝ち方では駄目だろ”という気持ちからの発言です。

アメリカ出身の大関であっても同じです。

しかし、モンゴル出身の大関に「モンゴルに帰れ!」は問題視されました。

なぜでしょうか?

私の仮説です。

我々はモンゴル人を一人前扱いしていないから「モンゴルに帰れ!」が差別発言扱いされたのだと思います。

大関であるなら品格を持った相撲をとるべし、という気持ちから「○○に帰れ!」という野次が出たのは明白です。秋田出身もアメリカ出身も、それ自体が劣ったことだとは誰も考えていないから、「○○に帰れ!」は差別に聞こえません。

しかし、我々は、心のどこかでモンゴルを一人前とは認めず、保護や憐れみの対象だと思っているから、「モンゴルに帰れ!」が差別だと感じてしまうのではないでしょうか。

“差別だ!”と叫んでいる者こそが、差別をしているのかもしれません。
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