【朝日新聞】改元から指紋押捺裁判を連想する人
新元号・令和の意味をいまひとつつかみかねていたのだが、英訳が「ビューティフルハーモニー(美しい調和)」だと知った時、我が腑にストンと落ちてきた。
「赤信号みんなで渡ればこわくない」
コレだ。小声で孤独にひざを打つ。ポン。本邦において「和」とは往々にして同調圧力によって成るものであり……とかなんとか書きつつも、なんというか、微妙に筆が重い。気が重い。
天皇に対するおそれとか、天皇をめぐって過去に流された血への恐れとか、そういうことから来る重さではない。むしろそのような、天皇制と向き合う際の基本の「構え」みたいなものがスコンと抜けてほぼほぼ見えなくなり、人々のあまりにも屈託のない語り口、わりと純度の高い「ありがとう平成」を目の当たりにして、有り体に言えば、びびってるのである。不協和音を奏でて怒られるのが怖いのではなく、奏でたところでもはや誰の耳にも感知されなさそうでコワイ、とでも言えば少しはわかってもらえるだろうか。
30年前、あの人はどんな思いでいたのだろう――。新元号発表の2日後、ピアニストの崔善愛さん(59)に会いに行った。
大阪市に生まれ、北九州市で育った在日韓国人3世の崔さんは、1981年、外国人登録の更新時に義務付けられていた指紋押捺を拒否した。大学2年生だった。同じく拒否した父親とともに外国人登録法違反に問われ、起訴された。
(略)
裁判では「現行法を拒否した私が罪なのか、現行法が戦争という罪から出ているのか、考えてほしい」と訴えたが、一審、二審とも有罪判決を受け、最高裁へ。ところが、昭和天皇の逝去に伴い、「遺徳をしのび、人心を一新する」ための恩赦(大赦)の対象になることが決まる。崔さんらは拒否を宣言し、裁判での決着を求めたが、89年7月に免訴判決、つまり、起訴自体が「なかったこと」にされた。
「象がネズミをかんでも、ネズミが象をかんでも、痛いのはネズミだけ。どちらにしても痛いなら、かまれて自分を失うよりも、かんで自分を取り戻したい」と、実存を賭けて臨んだ裁判だったが、天皇の名のもとに「恩」をかけられ、「赦」された。
「有罪以上の屈辱でした」
(略)
恩赦という制度が必要なのかどうかは疑問に思わないでもないですが、そういう制度がある以上合法的な処置であることは間違いありません。
刑事裁判なのですから、検察側が起訴を止めてしまえばそこで裁判はなくなります。刑事事件で訴えられた側が「実存を賭け」るというのはおかしなです。
「実存を賭け」たいのであれば、民事で国を訴えるべきでした。そうしたら、結果はどうなるにせよ裁判がなくなることはありません。
一部のジャーナリストや知識人が焚きつけて、妙な理屈で絶え間なく日本に文句を言い続けているようにしか見えません。
そもそも高橋氏が改元から指紋押捺裁判を連想するというのが分かりません。
おそらく、こういうことだと思います。
「日本のもろもろの悪いところは天皇を中心とするシステムと結びついている」「韓国併合の責任もそうである」「戦後、韓国・朝鮮人から日本国籍を剥奪したのも同じである」「指紋押捺制度の責任も同じである」「指紋押捺裁判で有罪判決がでたら徹底批判したかったのに、天皇の名で恩赦になり裁判がなくなったのも気に入らない」「なのに世間が改元で屈託なく盛り上がっているのは気に入らない」・・・・・・
日本の悪いところを天皇制の責任だという大前提が間違っているのだと思います。