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【テレビ】BS1スペシャル「北朝鮮への”帰国事業”知られざる外交戦 60年後の告白”

NHK。BS1で放送。

1959年から1984年にかけて日本の在日朝鮮人が北朝鮮に帰国した事業の影で、日米ソ南北朝鮮のかけひきが明らかになってきました。

1954年に鳩山一郎内閣になって、ソ連との国交正常化など、冷戦の中で中立的な外交を展開していきました。それを機に、北朝鮮が外交攻勢に出て、在留日本人の帰国に着手します。

1956年、ピョンヤンで日朝の会談が行われ、北朝鮮は在日朝鮮人の生活安定を提議します。これに対して日本は、帰国を提案。しかし、北朝鮮は”帰国希望者は1000人にも満たない”と発言します。

1957年、岸内閣が成立。韓国との国交正常化に乗り出します。これに対して北は日韓関係にクサビを打ち込むために帰国事業を進めます。在日の9割が南の出身であるのに、北に帰国することは外交の勝利と考えたためです。

1958年に、朝鮮総連が北朝鮮の金日成に帰国を嘆願の手紙を出します。一般の日本人も人道問題としてこれを応援します。

日本は帰国の意思確認を赤十字に行わせることを提案しますが、北は拒否します。日本はソ連に仲介を求めます。当時東ドイツから西ドイツへの脱出が多発していたため、共産主義の優位性をしめすために、ソ連は日本の申し出を受諾し、北を説得します。

これに対し韓国は反発します。米国は、韓国に対して韓国への帰国事業を展開することを提案します。韓国は、帰国者を韓国に定着するための資金を日本が払うべきと言いだしたため、米国は仲介を断念します。

1959年。帰国事業開始。最初の二年間で7万人が北朝鮮に帰国しました。帰国者は港の北朝鮮人のあまりの貧相な様子にショックを受けます。同時に北朝鮮人は、日本で困窮していると聞かされた帰国者があまりに血色よく立派な様子だったことにショックを受けます。

当時の東ドイツ大使館から本国にあてた報告書には、「日本からの帰国者が北朝鮮社会でのトラブルメーカーになっている」とあります。日本の差別を逃れてきた帰国者は、北朝鮮での差別されることのなりました。

1960年代に、北は南との経済競争に敗れ困窮化します。

1967年、帰国事業は一旦中止します。

1971年、帰国事業再開。今度は、朝鮮総連の幹部の家族が中心となります。北に人質をとられた形になります。

この時も韓国は反発しますが、佐藤栄作総理は「どうしようもない連中は早く帰らせるのが日韓両国のために良いと思う」と回答しました。

この時期に、帰国者を家族が訪問するなどの祖国訪問団ができたり仕送りがあったりで、帰国者の生活は一転ゆたかになります。

80年代に入り、年数十人しか帰国しなくなり、1984年に事業は終了します。

90年代の冷戦崩壊で、北はソ連からの援助がなくなり窮乏化します。

■感想
”外交戦”というからもっとおどろおどろしいものがあるのかと思ってましたが、案外普通でした。

日本人でない生活困窮者を帰国させたいという日本政府の方針は、酷薄かもしれませんが、理屈には合っています。本人の意思確認を赤十字にやらせた以上、瑕疵はないものと思います。

当人の希望があれば帰国させるのが当然だという一般の日本人の感覚は当然でしょう。

西側に自陣営の優位性を見せつけたいというソ連の考えも理解はできます。

北朝鮮も、”地上の楽園”とか嘘を吐いていましたし、総連幹部の家族を人質にしたのは卑劣ですが、あの国らしいといえばあの国らしいです。

アメリカも韓国に気を使っていましたが、韓国のかたくなな態度に匙を投げたのは仕方ないでしょう。

韓国だけが、理屈に合わない行動をとっています。北に帰国させるのは嫌。でも韓国では引き取らない。外交だからわがままを言うのは良いのですが、何を目的としてわがままを言っているのかさっぱりわかりません。

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