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【テレビ】フランケンシュタインの誘惑E+  第十二話「握りつぶされたブラックホール」

Eテレにて放送。

第十二話の主人公はアーサー・エディントン(1882~1944)です。現代天文学の基礎を作ったという業績の反面、ブラックホールのアイデアを思い付いた若手科学者を排斥し、この分野の研究を40年遅らせた原因にもなっています。

1882年:イングランドに生まれる。
1902年:ケンブリッジ大学大学院に入る
1913年:ケンブリッジ大学の教授になる
1914年:ケンブリッジ天文台長の教授になる
この時期、科学界はアインシュタインの相対性理論の話題でもちきり
1919年:アフリカに遠征し皆既日食を観測。太陽の近くに見える星を観測することで、重力で光が曲がるという相対性理論を初めて実証する
1926年:「星の内部構造」を出版。ブラックホールにつながるアイデアを示す。しかし、観測できない事象という理由で自ら封印する
1930年:ナイトの称号を受ける
1930年:スブラマニアン・チャンドラセカール(インド人)がケンブリッジ大学に留学に赴く。船旅の途中に、質量の大きな星はその晩年に永遠に押しつぶされるというアイデアをひらめく
この時期、エディントンは原子から宇宙までを説明できる統一理論に挑む。この理論の前提として、すべての星は必ず白色矮星になる(ブラックホールにならない)こと。
1934年:チャンドラセカール、エディントンの自らの原稿の下書きを持ってきて助言を求める。エディントンはこの論文が統一理論の脅威になると感じる。
1935年1月11日:王立天文学会でチャンドラセカールが理論を発表。直後にエディントンはこの理論を非難し罵倒する。当時エディントンの権威は絶対的だったので、ブラックホールのアイデアは葬り去られる
1936年:チャンドラセカール、アメリカに移住
1939年:パリ国際天文学会で、チャンドラセカールが再度研究を発表するが、またしてもエディントンに批判される。チャンドラセカールは、白色矮星の研究を封印することになる。
この後、あいつぐ天文学の新発見がエディントンの統一理論と矛盾する。徐々にエディントンは周囲の信用をなくしていく
1944年:エディントンが胃がんで死亡(享年61歳)
1962年:スターリング・コルゲート(水爆の研究者)が、最新のコンピュータで質量の大きな星はやがて無限につぶれ続けることを計算で明らかにする。
1967年:ブラックホールが命名される
1970年:NASAがブラックホールの存在を確認。
1983年:チャンドラセカール、ノーベル物理学賞を受賞
1995年:チャンドラセカール、心筋梗塞で死亡
1999年:NASA、チャンドラセカールの名前を冠したブラックホール観測人工衛星を打ち上げる
2019年:ブラックホールの撮影に成功

■感想
番組では、量子物理学に否定的だったアインシュタインも当時の若手の科学者たちから老害呼ばわりされていたことを紹介していました。

しかし、自分の理解できない理論に疑問をぶつけたり批判したりというのは、学問としては普通のことで、老害呼ばわりは間違っています。エディントンの場合は、根拠を問うでもなく、頭から否定し罵倒したということですから、これは本当の老害でしょう。

問題なのは、そうしたエディントンの態度に周囲が同調したことです。

よくある日本人論で、日本人はディベートの訓練を受けていないから精緻な議論ができず、かつ日本社会は同調圧力が強いので、権威ある人間に盲目的に従う傾向がある、というのがあります。しかし、ごく最近の欧米社会で、しかも科学界で、理屈抜きの権威主義がまかり通っていたというのは、こうした傾向が日本特有のものでないことを示しています。

番組では触れていませんでしたが、チャンドラセカールが英国科学界から排斥された理由に彼の出身地や肌の色も関係していたのかどうかが気になりました。

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