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【朝日新聞】「表現の不自由展」中止、憲法学者どう見る

8月18日朝日新聞朝刊の文化・文芸欄。『「表現の不自由展」中止、憲法学者どう見る』は、「表現の不自由展・その後」が中止になった問題について二人の憲法学者(川岸令和・早稲田大教授と横大道聡・慶応大教授)に意見を聞いています。

その中から、川岸令和氏の意見を引用します。

 近代以降、社会は多様な意見があることを前提に成立しており、その表現の内容について、公権力が何がいいか悪いかを決めることはできない。憲法上、名誉毀損やわいせつ表現など一定のケースを除き、表現内容に基づいて表現の自由を規制することはできない。
 一方、国家が文化振興などの目的で芸術に資金を助成することがある。そうした場合には「お金を出す以上、口も出していいのでは」という人もいるかもしれない。ただ、なぜ芸術を国家が支援するのか考える必要がある。五感に訴えかける芸術は、多様な生き方、価値観の存在を知らしめ、個人の人格の陶冶に資し、ひいては社会の成熟をもたらすことが期待されるからだろう。
 芸術にはお金がかかるものだ。もし、そこで国家が口を出すことを認めてしまうと、圧倒的資金、マネジメント力を持つ国家に、芸術の自律性が押しつぶされ、結局、社会の多様性が失われてしまう。
(略)
 企画展の開催中、電話やメールで度を越した抗議が多く寄せられたという。近代では、市民を抑圧する権力者にどう対峙するかが問題だったが、民主化が進んだ現代では、加えて、社会の「多数者」も抑圧的な存在になりうる。
 異なる意見を受け入れることは、だれしも困難なことだ。ただ、自分が嫌悪する表現にも、表現の機会を認めることが表現の自由だ。それは「不自然」なことかもしれない。だが、その不自然さこそが、自由で民主的な社会を形作ってきた。自由に表現でき、その表現に自由にアクセスして、自由に思考できる。そんな空間を維持していくのも、結局は、我々次第だ。



国家が芸術に口を出すことを認めると、芸術の自律性が損なわれる、とのことです。

もっともな主張のようですが、国家から資金の提供を受けた展覧会の企画者が、作品ごとに出展するしないを決めているのですから、間接的には口を出したも同然です。国家が口を出すと芸術の自律性が失われるなら、展覧会の企画者が口を出したって自律性は失われるはずです。

”専門家でない政治家が品定めをするのはよくない。専門の企画者を認定し任せるべき”との主張なら分かりますが、自律性云々を言われてもピンときません。


「芸術にはお金がかかるものだ」というのも首肯しかねます。

近代以前の画家はパトロンの意向にそって作品を作っています。近代になって美術マーケットが発達すると、直接顔をしらない美術ファンに買ってもらえればよくなったので、画家はある程度自分勝手なものを描きはじめます。それが極端になると売れるまで貧乏生活で頑張るといったスタイルも出てきました。

つまり、金主の欲しいものを描くか、好きなことが描きたければ、それが売れるように頑張るか貧乏に耐えるかしかありません。

「芸術にはお金がかかるものだ」から税金で食わせろ、というのは芸術家のわがままだと思います。


「近代では、市民を抑圧する権力者にどう対峙するかが問題だったが、民主化が進んだ現代では、加えて、社会の「多数者」も抑圧的な存在になりうる」というのは今回の問題で痛切に感じたことです。

さらりと流していますが、この部分はもう少し突っ込んだ議論を聞かせてほしいところでした。

「ガソリン缶を持っていく」云々という声は論外ですが、一般国民が穏当な方法で意見を言っているのを「抑圧者」呼ばわりで切り捨てていいものなのでしょうか?

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