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【朝日新聞】「死刑の存廃 揺れてもいい」 

1月26日(木)朝日新聞東京版朝刊オピニオン欄で映画監督で作家の森達也氏が死刑について語っています。

昨年11月、死刑制度をテーマにするシンポジウム(京都弁護士会主催)に、パネリストとして参加した。催しの第1部は、地元高校生たちによる発表だ。 これまで死刑制度に格別の興味や関心を持たなかった彼らは、人を殺したのだから処刑されることは当然だと思っていた。でも被害者遺族やかつての冤罪死刑囚、執行に立ち会った教誨師や元刑務官などに会って実態を知る過程で、少しずつ 意識を変えた。
(中略)
高校生たちが発表を終えた瞬間、客席にいた男性から怒声が飛んだ。
「被害者の人権はどうなるんだ!?」
突然の鋭い声に会場は静まり返り、高校生たちは硬直した。涙顔になっている女生徒もいた。全員が沈黙したまま、第1部は終了した。
この国では、死刑制度を支持する人が、国民の8割以上を占める。客席の男性と同じ主張をするメディアや識者も多い。ここまで読み進めながらあなたも、男性の叫びに内心では同意しているかもしれない。
ならば言わねばならない。あなたは前提を決定的に間違えている。被害者と加害者の人権は対立概念ではない。片方を上げたら片方が下がるわけでもない。両方とも上げれば良いだけの話なのだ
正義と悪。敵と味方。黒と白や右と左。そして被害と加害。前提を二項対立にしたほうが確かに思考は楽だ。でもそれは現実ではない。この世界はもっと複雑で多面的だ。
(中略)
法の制度の整合性を常に考察することも、法相の重要な職責であるはずだ。ところが議論や考察をするために重要な前提である情報公開が、ほぼまったくなされていない。
確かに一昨年、法務省は刑場を公開した。でもあれは空っぽの野球場だ。野球ではない。野球場だけを見て野球の考察や議論ができるはずがない。試合の生中継は無理にしても、どんな選手がいて、どのようなルールで、どのように試合が行われるのか、これらを知らずに野球の考察や議論ができるはずがない。
(中略)
裁判員制度を導入した日本は、国民が国民の死刑を決める稀有な国になった。処刑してから実は冤罪だったと判明したとき、あらゆる意味で取り返しはつかない。意見は決して出尽くしてなどいない。知らないから語れないのだ。せめて揺れよう。揺れながら考察と議論を続けよう



被害者と加害者の人権は対立概念ではない。片方を上げたら片方が下がるわけでもない。両方とも上げれば良いだけの話なのだ。

刑罰とは人権の制約です。もちろん法で定められた以上に人権を侵していいわけがありません。犯罪者であっても人権を不当に侵してはいけないというだけのことです。一般的に加害者の人権を上げねばならない理由はありません。

森氏の意見に違和感を覚えるのは、加害者の処遇を考える際に、被害者の人権を考慮することを楽な思考と評しているところです。加害者の人権を考える際に被害者を忘れる方がよっぽど単純です。単純化が悪いとは言いませんが、どちらが楽な思考をしているのかはよく認識する必要があります。


死刑廃止論者は、よく死刑の情報公開がないと批判します。しかし具体的に何の情報を公開すべきと考えているのかはっきりさせません。

試合の生中継は無理にしても、どんな選手がいて、どのようなルールで、どのように試合が行われるのか、これらを知らずに野球の考察や議論ができるはずがない。

野球にたとえないで、死刑制度の何を公開しろ、と言いたいのか具体的に明言すべきです。

絞首刑が残虐であることがわかるような情報を公開しろと言うのなら、「生中継」もしくは録画の中継が必要になります。しかし森氏は、それは無理だと思っているようです。


一番おかしいのは、死刑賛成派にばかりに揺れろと言っているように見えることです。

そもそも、"揺れろ"などとあやふやなことを言っていないで、反対なら反対理由を添えてと堂々と主張すべきです。


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