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【朝日新聞】記者有論:言語の呼び名 「国語」卒業し「日本語」に

館山支局長の清水弟氏の文章です。

 どうして日本語ではなく、「国語」にこだわるのか。夕刊コラム人脈記「日本語の海へ」を今年6月まで取材しながら、気になっていた。
 谷川俊太郎、大岡信、安野光雅、松居直氏が作った小学校1年の教科書「にほんご」には、ボンジュール、アンニョンハシムニカ、ブエノスディアスなど世界各国のコンニチハが紹介され、日本語が相対的なものであることを教えている。「国語」では、その相対性が伝わらない
 同じ日本語なのに、母語である日本人は国語として教わり、外国人なら日本語教育と変わる。これが相当おかしな習慣であることは、外国で生活するとよく分かる。
 国語学会の「日本語学会」への改称を取材したのは2003年のことだ。古い写本や版本など文献学的な研究には「国語」がふさわしいという声もあったが、世界に通用する学問にするためにも名称変更が望ましいという意見が多く、投票の結果、会員の過半数が「日本語」を選んだ。
 国立国語研究所にも改称の動きはあったが、見送られたという。日本語学会の会長だった、野村雅昭・早大名誉教授によると、2009年に独立行政法人から大学共同利用機関法人への移管にともない、事務局の原案は「日本語研究所(仮称)」だったのに、閣議決定の文言などを理由に「当面は国立国語研究所」となった。将来変更の可能性もにじむ決着だ。
 「祖国とは国語であり、それ以外の何ものでもない」という、シオランの言葉がよく引用されるが、原文はLANGUE(言語)である。フランス語で著作を発表した、ルーマニア出身の思想家の言葉を翻訳するなら、むしろ「母語」が似つかわしい。
 「国語」は日清戦争の始まった1894年、言語学者・上田万年(かずとし)が「日本語は日本人の精神的血液なり」と提唱して使われ始めた。国家語・国民語の意味で、ペアの関係だった「国史」が戦後は消えたのに、国語は生き残った。
 作家・水村美苗さんは「日本語が亡びるとき」で、米国の政治経済力やインターネットの普及が、英語を人類の英知を表現する「普遍語」に押し上げ、日本語は地域語に落ちかねないと警告した。彼女には、イタリアの名門・ミラノ工科大学が2014年から大学院の全課程を英語にすると決めたのも気がかりだ。
 時代は大きく動いている。そろそろ国語を卒業していいころではないか。


さっぱり理解できない主張です。「国語」と呼称することにどういう不都合があるのか、「日本語」と呼称することにどういう利点があるのか、これではよくわかりません。せいぜい主張らしきところは、「その相対性が伝わらない」だけです。しかし、相対性が伝わることの意義は書かれていません。そもそも相対性を理解するのにもっとも確実な方法は外国語を勉強することのはずです。「国語」を「日本語」と呼び変えることに何ほどの意義があるのか疑わしく思います。

イタリアの大学院の課程が英語で行うことが気がかりだ、と声を紹介していますが、それと「国語」の呼称との関連も書かれていません。

何か特殊な思想に基づいて主張を展開しているようですが、清水氏の思いは、読者には伝わってきません。

念の為に言っておきますが、「国語」を「日本語」と呼びかえることに反対しているわけではありません。清水氏の主張に根拠がないことを指摘しているだけです。
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