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【朝日新聞】私の視点:小学校の英語教育 低学年化は国語力が心配

11月2日 朝日新聞朝刊オピニオン欄に、専門学校教員(外国語担当)の秋田辰巳氏が、小学校の英語教育への懸念を表明しています。

文部科学省が小学4年生以下にも英語を必須化する検討を始める。
(略)
 日本の青少年の日本語運用力が問題視されているいま、もし国際バカロレアを根拠とするのなら、英語教育よりも、日本語教育と日本文化を理解させる教育の強化を目指すべきだ。
 滑らかな英語だけど中身のない話と、日本語なまりが強い英語だが中身のある話。国際社会は後者を評価するのは言うまでもない。かつて米国留学したとき、日本文化を説明できず、「あなたは日本人でしょう?」と皮肉を言われる日本人留学生をしばしば見た。一方、片言英語ながら日本文化について説明できる日本人を、米国の学生のみならず他国の留学生も取り囲んでいた。
 より若い頃から英語教育を始めれば、言語習得の面では効果を望めよう。半面、日本文化の発展や感性の育成に逆行する恐れはないだろうか。
 文科省の文化審議会は2004年2月の答申で、「各国の文化と伝統の中心は、それぞれの国語であり、その意味で国際化の時代に極めて重要なのが国語力である」「(3歳から小学校高学年までに)国語力の基礎となる知識を確実に身に付けさせることが重要である」とした。学校教育の枠内で日本語力と英語力の両方をさらに強化するのは、可能だろうか。
 限られた時間の中で、何かを加えれば何かを失う。思考の原点である言語教育に、英語という新たな要素を子どもたちに与えれば、日本語教育の大切な要素が失われるかもしれない。子どもたちを文化的根無し草にしないため、足元を見つめ直す必要がある。


二度三度読むと色々茶々を入れたくなるところが見えてきました。


「滑らかな英語だけど中身のない話と、日本語なまりが強い英語だが中身のある話。国際社会は後者を評価するのは言うまでもない。」というのは異論がありません。しかし秋田氏の比較から抜け落ちているものがあります。中身があってもほとんど英語が話せない人を国際社会がどう評価するか、ということです。

話には中身が必要ですが、ある程度の語学力がなければ話を聞いてもらうことすらできません。

私の経験では、学校教育を普通に受けた程度では、外国人に中身のある話をするのは無理です。小学生から英語を教えるのがいいのかどうかはともかく、現在の学校英語では足りないのは事実だと思います。


秋田氏は、「中身のある話」を日本文化とイコールだと考えていますが、これは正しいのでしょうか。

例えば、クラッシック音楽の一流演奏者が外国人に訊かれるのは西洋音楽の話のはずです。数学者に尋ねられるのは数学の話題です。源氏物語や浮世絵についてではありません。

もちろん、一般の日本人には日本文化の話を質問されるかもしれません。ただし、そこで話題になるのは必ずしも高尚な日本文化とは限りません。現に、私の会社の同僚は英語のチャットで日本のアニメの質問に答えられずいたら無視された、と告白していました。だからといって学校教育で漫画やアニメを教育する必要があるとも思いません。

「中身のある話」とは何なのかは、それはどこでどうやって身につけるものなのか。簡単な問いではありません。


「限られた時間の中で、何かを加えれば何かを失う」というのが、国語の時間を削って英語の時間に割り当てるということであるなら、国語力に影響がでるというのは正しいと思います。しかし、ここで秋田氏が言っているのは、「思考の原点である言語教育に、英語という新たな要素を与え」ると「文化的根無し草」になるおそれがある、という意見です。つまり子供のうちから母国語以外の言語を学ばせると悪影響がある、という意見です。

これは事実なのでしょうか。世界的にみれば複数の言語に接している子供は決してすくなくありません。この子たちはみな「文化的根無し草」になっているのでしょうか。そう主張するならそれでもよいのですが、根拠なしで懸念だけを表明されても賛成しづらいです。
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