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【朝日新聞】今こそ政治を話そう:あえて、9条削除論

10月26日朝日新聞朝刊オピニオン欄。法哲学者・井上達夫氏へのインタビュー記事「あえて、9条削除論」です。

 ――安倍政権は「集団的自衛権は行使できない」という従来の憲法解釈の変更を目指しています。
 「集団的自衛権行使を容認すれば、日本は米国の軍事戦略に際限なく巻き込まれます。『集団的自衛権は憲法上NO』はそれに対する拒否権カードです。安倍政権が日本の外交力を強化したいなら、なぜこの『貴重』な対米交渉カードを自ら手放そうとするのか。理解不能です。日本は米国にとって必要不可欠かつ代替不能な戦略的拠点を提供しており、さらにこんな愚かな『貢献』をする必要はない。『米国は日本にそんなにひどい要求はしてこないはずだ』と考えているのなら、タカ派の平和ボケと言わざるを得ません」
 「ただ一方で、『解釈改憲だ。許されない』とする護憲派の安倍政権批判にも、私は違和感を覚えます」
 ――どういうことですか。
 「『自衛隊は9条2項が禁じる戦力ではない』という歴代自民党政権の詭弁を追認した内閣法制局の見解も、明白な解釈改憲です。しかし護憲派の大勢はそれを黙認ないし是認している。集団的自衛権行使容認は政治的に筋が悪いですが、解釈改憲という点では同じです。自分たちに都合のいい解釈改憲ならOKというのは欺瞞です。こんな護憲派の姿勢は、憲法の規範的権威を毀損し、『うそ臭い念仏』化させることに一役買ってしまったと思います」
 ――護憲派は憲法を守ってこなかったということですか。
 「護憲派は他人頼みなのです。『専守防衛で集団的自衛権はNO』を日本の公式見解として守ってきたのは、自民党と内閣法制局ですよ。護憲派はこの自民党と法制局の『自己規制』に頼りながら、それを自分たちの手柄のように言ってきた。安倍政権はいま、護憲派のこの甘えを突いてきています。集団的自衛権行使容認が目的の内閣法制局長官人事は大いに問題がある。しかし護憲派はそれに憤慨する前にまず、自分たちの欺瞞と甘えを反省すべきです」
 「だからといって、改憲派には護憲派の欺瞞を難じる資格はない。『押し付け憲法』を改正して日本の国家的主体性を回復するのだと息巻く改憲派は、占領の主役だった米国に軍事基地を忠実に提供し続けている。さらに、集団的自衛権容認に向けた9条の解釈改憲で対米従属構造を一層強化しようと。これは究極の自己欺瞞です」
 ――ただ、自民党は集団的自衛権行使を可能にすると訴えて選挙に勝ち、民意を得たとの声もあります。
 「集団的自衛権行使に道を開きたいのなら、憲法9条を改正すべきです。政治とは、政治的アクターがそれぞれの政策構想の実現をめざして闘うゲームで、憲法はそのゲームのルールです。だからこそ、プレーヤーが自分に都合のいいようにルールを変更できないよう、憲法改正には高いハードルが課される。これは立憲主義の要諦です。安倍政権は、96条改正でこのハードルを下げようとしたがうまくいかないので、改正手続きをバイパスする解釈改憲をしようとしている。これは立憲主義の否定であり、許されません」
 「ゲームの勝者が好きなようにゲームのルールを変えられるというのは、単なる『勝者の正義』の押し付けです。勝者には、その勝者の正義を超える『正統性』の調達が要請されるのです。なぜか。敗者が『勝者の決定は間違っているが、次の挑戦機会に覆せるまでは尊重する』と言えるようなフェアなゲームのルールが保持されない限り、この政治社会は成り立たないからです」
(略)
 ――右も左も欺瞞だらけだと。じゃあ、どうしたらいいでしょうか。
 「9条は固守するでも改正するでもなく、端的に削除すべきです」
 ――条文まるごと、ですか。
 「そうです。9条は、自衛隊の肥大化や、日本が米国の軍事行動に巻き込まれることを抑制してきた。しかしそれは事態の進行を遅らせる程度の抑止力でしかなく、既成事実はどんどん広がっています。イラク戦争への自衛隊派遣が好例です。人道復興支援などとごまかしていますが、イラクの抗戦勢力にすれば日本は完全な交戦当事国です」
 「護憲派は9条だけは守っていると良心を満足させ、既成事実の拡大を止められない責任を深刻に自覚せずに済ませてきた。その積み重ねが、集団的自衛権の行使容認という新しい局面に対して、大規模な対抗運動を組織できない現状を生んでいる。法制局がダメだから、今度は公明党頼みですかと。護憲派は憲法を『凍結』させて9条の条文を守れればいいという甘えから脱却し、9条の思想を現実の政策に反映させるべく、民主政治の闘技場に自らの足で立ち、不断に闘うべきです」
 「改憲派もそうです。押し付け憲法が日本をダメにした、9条が日本の国際的立場を弱くしたなどと、何でも憲法のせいにして自分たちの政治的主体性の欠如を隠蔽してきた。責任転嫁できる9条がなくなったとき、米国に振り回されない主体的な安全保障体制を構築できるのか、国民にちゃんと答えてみなさいと」
 ――それは一種の精神論ですね。
 「いえ、心構えではなく立憲主義の枠組みの問題です。立憲主義の基本は公正な民主的政治競争の条件と基本的人権、特に被差別少数者の人権の保障です。安全保障問題は、政治という闘技場の中で争われるべきことで、闘技場の外枠である憲法で規定すべきではありません」
(略) 
(聞き手・高橋純子)



『自衛隊は9条2項が禁じる戦力ではない』という歴代自民党政権の詭弁を追認した内閣法制局の見解も、明白な解釈改憲です。しかし護憲派の大勢はそれを黙認ないし是認している。

護憲派のなかには非武装中立を唱えている人たち(=自衛隊を認めていないひとたち)は少なからずいます。また、護憲派で自衛隊を認める人たちは、自身を解釈改憲をしているとは思っておらず、正当に解釈していると考えているのだと思います。

無理やり単純化した批判だと思います。


「だからといって、改憲派には護憲派の欺瞞を難じる資格はない。『押し付け憲法』を改正して日本の国家的主体性を回復するのだと息巻く改憲派は、占領の主役だった米国に軍事基地を忠実に提供し続けている。さらに、集団的自衛権容認に向けた9条の解釈改憲で対米従属構造を一層強化しようと。これは究極の自己欺瞞です」

はじめに読んだとき、井上氏のこの理屈が理解できませんでした。おそらく、次のような論理なのだと思います。
・改憲派は、現行憲法は米国の押し付けだと非難している。
・したがって、改憲派は反米の立場である。
・しかし、改憲派は、米国への軍事基地の提供に賛成し、集団的自衛権の容認をしているので、対米従属である。
・ゆえに、改憲派は、反米と対米従属という矛盾を抱えている。自己欺瞞だ。
この井上氏の論理には穴があります。

現行憲法が押し付けであると認識していても反米とは限りません。憲法が押し付けか否かは歴史事実の認識の問題であり、反米か親米かは政治的主張の問題です。

私は、現行憲法が押し付けられたというのは客観的事実だと考えています。決して、押し付けたのが米国だから「押し付け憲法」だと言っているわけではありません。ソ連が押し付けてきたとしてもやはり「押し付け憲法」です。現行憲法が押し付けであるという認識と、反米思想はつながりません。

井上氏は、改憲派に対しても、単純化しすぎています。


「ゲームの勝者が好きなようにゲームのルールを変えられるというのは、単なる『勝者の正義』の押し付けです。勝者には、その勝者の正義を超える『正統性』の調達が要請されるのです。なぜか。敗者が『勝者の決定は間違っているが、次の挑戦機会に覆せるまでは尊重する』と言えるようなフェアなゲームのルールが保持されない限り、この政治社会は成り立たないからです」

そもそも、一度成立した憲法が後続の世代に守らせる(=単純多数決で変更してはならない)根拠に疑問があります。王制を打倒した際に制定したとか、独立した時に作ったとかいった建国神話的なものと結びついているならば理解もできます。しかし、ここで俎上にあがっている改憲派は、出発点として現行憲法に正統性への疑問を持っています。その人たちに「正義を超える『正統性』の調達が要請される」と言ってみても説得力がありません。


「9条は固守するでも改正するでもなく、端的に削除すべきです」

削除すべき、との意見の理由は理解しました。しかし、インタビューの最初に「『集団的自衛権は憲法上NO』はそれに対する拒否権カードです。安倍政権が日本の外交力を強化したいなら、なぜこの『貴重』な対米交渉カードを自ら手放そうとするのか。理解不能です」と言ったこととの整合性がありません。

短いインタビュー記事の中で矛盾したことを言って、ご自身矛盾だと思わないのでしょうか。

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