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【朝日新聞】社説余滴:究極の刑を選ぶ前に

11月14日朝日新聞朝刊オピニオン欄。社説余滴のコーナー。司法社説担当の井田香奈子氏の「究極の刑を選ぶ前に」です。

 裁判員として悩み抜いた判断が高裁で覆されるのなら、最初から裁判官だけでやってくれ――。そんな声が出るのはわかる。
 裁判員裁判の死刑判決が、高裁で無期懲役になるケースが続いた。裁判員制度5年目の新たな局面だ。
 社説の議論でも、陪審制のように、有罪・無罪は決めるが量刑にまでは関与しなくていい、という意見があった。
 しかし、厳然とあるのは、裁判官に託したとしても悩ましい懲役刑と死刑の落差だ。
 「刑の重さに応じた期間、刑務所で悔い改めよ」という刑罰の理念は、「命を奪うから、悔い改めはもう結構」に突然かわる。
 自由のない月日の重みならある程度想像できても、死刑はどうだろう。まして、どんな行為なら絶対に死刑、という理論などない世界だ。
 裁判員裁判の死刑判決が全員一致とは限らない。上級審が別の目で見て疑問をはさむ余地が少しでもあるなら、究極の刑は避けるべきだろう。
 死刑かどうかの選択に市民がかかわる本来の意味は、むしろ死刑がある現実と向き合うことではないか。
 日本では長いこと、この判断を裁判官に任せてきた。死刑執行命令は法相の裁量下で、最も重い公権力の行使ながら秘密が多い。
 20年前の11月、初任地の札幌で死刑執行があった。法務省は一切、公表しない方針で、取材先の検察幹部も、話をはぐらかすばかりだった。
 思えば死刑制度の分岐点だった。1980年代、4人の死刑確定者の再審無罪が相次いだ。89年から3年4カ月、執行は止まっていた。死刑の存廃やあり方について議論を深めるいい機会だったのに、秘密主義がその壁になった。
 あれから死刑を廃止、あるいは執行しない国は増え、日本は先進国で死刑執行を続けるまれな存在となっている。
 法務省は2007年から執行後、対象者の名前や犯罪の公表を始めた。それでも、刑の執行状況や死刑囚の生活については明らかにされない。情報公開請求で出てくる文書は、圧倒的に黒塗りだ。
 市民に刑の選択もゆだねる以上、共有すべき情報はもっとあるのではないか。
 死刑が憲法が禁じる残虐な刑にあたらないと判断し、現在まで合憲性の根拠となっている最高裁の判断は、1948年のものだ。その価値観は今に通じるか。私たちが判断を担っている。


非常に歯切れの悪い文章です。

死刑制度に賛成していないのは伝わってきますが、反対なら反対でそのように堂々と主張すべきです。賛否を決めかねているなら、自分の考えをじっくり熟成させてから新聞の載せるべきです。結語に「私たちが判断を担っている」と書きながら、自身の考えを曖昧にしているのはいかがなものでしょうか。

また、死刑に関する情報公開が足りない、というのは死刑反対派が繰り返し主張するところですが、具体的に何の情報が欲しいのかいっこうに分かりません。最後の食事のメニューが知りたいとか、死刑台に上るときの様子が知りたい、というのは一般の興味をひくところですが、死刑の賛否とは無関係だと思います。

私自身は死刑制度には反対です。冤罪の可能性がゼロでないことが理由です。死刑に反対している私ですが、こうした死刑反対派らしき人の言論には多大な疑問を持っています。
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