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【朝日新聞】今こそ政治を話そう:「宗教国家」日本

12月25日朝日新聞朝刊オピニオン欄。65年生まれの作家、星野智幸氏の寄稿『今こそ政治を話そう:「宗教国家」日本』より。

星野氏はノンポリだった旧友たちと再会して、彼らが中韓への敵意をむき出す姿に違和感を持ちます。そして、星野氏が学生時代に遭遇した学生運動家や新興宗教の信者とおなじ性質を見つけます。すなわち、『価値観を共有しない他者(中国や韓国)を軽蔑し、自分たち(日本人)を優越視し、自分たちの考えを絶対化して信奉する姿』です。

星野氏は、このようなナショナリズムの広がりの理由をつぎのように考えます。

 それにしても、不思議に思う。あれほど政治や社会を熱く語ることを毛嫌いし、冷淡だった人たちが、今にしてなぜ、こうもナショナリズムに入れ込んでしまうのか。
 さまざまな理由が複合する中で、私が強く感じるのは、みんな、絶対に傷つかないアイデンティティーを渇望しているんだな、ということである。
 ナショナリズムは、それを信奉する人に一つのアイデンティティーを与えてくれる。「日本人である」というアイデンティティーである。このアイデンティティーの素晴らしいところは、決して傷つかないこと。日本社会の中で生きている限り、日本人だという理由でバッシングを受けることはない。そういう理由で批判をしてくるのは、近隣の外国であり、それに対しては「日本人」同士でまとまって反論することができる。だから、自分一人だけが傷つくことはない。
 「自分は日本人なんだ、日本人はまじめで粘り強く頭がよく、規律正しく団結力があって、サムライ的な腹をくくれる強さがあって、苦境を乗り越える力を持っている、そんな日本人の一員なのだ」。そう考えれば、自分が個人として抱いている劣等感も消え、強い存在になったかのように感じられる。生まれたときから「日本人」である以上、これは最初から自分に備わっている性質で消えることはなく、しかも仲間がたくさんいて、この感覚をわかり合える。いつでもどこでも孤立することなく「日本人」同士でつながっていられて、居場所を失うこともない。  そのような魔法のアイデンティティーを、ナショナリズムという信仰は用意してくれるのである。信じさえすれば、「日本人」でいられる。信仰を得た者はもはや、個人である以前に「日本人」なのだ。
 今や同調圧力は、職場や学校の小さな集団で「同じであれ」と要求するだけでなく、もっと巨大な単位で、「日本人であれ」と要求してくる。「愛国心」という名の同調圧力である。「日本人」を信仰するためには、個人であることを捨てなければならない。我を張って個人であることにこだわり続けた結果、はみ出し孤立し攻撃のターゲットになり自我を破壊されるぐらいなら、自分であることをやめて「日本人」に加わり、その中に溶け込んで安心を得たほうが、どれほど楽なことか。
 自分を捨ててでも「もう傷つきたくない」と思うほど、この社会の人たちはいっぱいいっぱいなのだと思う。長年の経済的な停滞と労働環境の悪化、それに伴う人間関係の破壊、いつか人生を転落するんじゃないかという恒常的な不安などがつのっていたところに、大震災と原発事故が起こった。その巨大な喪失感は何年たっても埋められず、希望を抱ける要素は何もなく、心は不安定で、感情の揺れを抑えられない。多くの人が、自覚のあるなしにかかわらず、そんな存在の危機にある。私自身も涙もろく怒りっぽくなった。
 限界ギリギリで持ちこたえていることに疲れきり、もう落ち着きたい、安心したい、穏やかでいたいと、安定を求める気持ちが高まるのは、当然だろう。これ以上悲観的なニュースや将来像は見たくないと心身が悲鳴を上げ、現実から目をそらす。そうして無関心が広がっていく。
 「日本人」信仰は、そんな瀬戸際の人たちに、安らぎをもたらしてくれるのである。安倍政権を支えているのも、安定を切望するこのメンタリティーだろう。


ようするに精神的に弱った人たちが愛国心にしがみついている、という意見です。しかし、根拠が示されていません。

統計をとって精神に不安を抱えている人と愛国的言動に相関関係が示されれば、なるほどと思える根拠になります。統計とまでいかなくても、星野氏の出会った旧友たちをみると精神に問題がありそうだというなら、個人的な意見として拝聴できなくもありません。しかし旧友たちは愛国的言動以外はいたって普通だったそうです。

つまり、精神的に弱った人たちが愛国心にしがみついている、との言説は証明できていません。

また、星野氏は中韓を嫌う日本人が増えた理由を日本人側にのみ求めていますが、これは考慮が不足しています。旧友たちは中韓を嫌う理由を語ったはずです。その理由が理不尽であると論証しないで、日本人側の精神の責にするのは飛躍しすぎです。つまり、中韓が責任があるという可能性を考慮していません。

星野氏の結論は、以下のものです。

 もちろん、このように有権者が自ら主体を放棄した社会では、民主主義を維持するのは難しい。民主主義は、自分のことは自分で決定するという権利と責任を、原則とした制度だから。だが、進んで「日本人」信仰を求め、緩やかに洗脳されているこの社会は、その権利と責任の孤独に耐えられなくなりつつある。自由を失うという代償を払ってでも、信仰と洗脳がもたらす安心に浸っていたいのだ。それがたんなる依存症の中毒状態であることは、言うまでもない。みんなでいっせいに依存状態に陥っているために、自覚できないだけである。
 この状態を変えようとするなら、強権的な政権を批判するだけでは不十分だ。それをどこかで求め受け入れてしまう、この社会一人ひとりのメンタリティーを転換する必要がある。難しくはない。まず、自分の中にある依存性を各々が見つめればよいだけだから。


もとになった論証が論証になっていなかったためか、単なる精神論に過ぎません。
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