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【朝日新聞】社説:首相と靖国神社 独りよがりの不毛な参拝

12月27日朝日新聞朝刊の社説です。安倍首相の靖国参拝の話題です。

 内向きな、あまりに内向きな振る舞いの無責任さに、驚くほかはない。
 安倍首相がきのう、靖国神社に参拝した。首相として参拝したのは初めてだ。
 安倍氏はかねて、2006年からの第1次内閣時代に参拝しなかったことを「痛恨の極み」と語ってきた。一方で、政治、外交問題になるのを避けるため、参拝は控えてきた。
 そうした配慮を押しのけて参拝に踏み切ったのは、「英霊」とは何の関係もない、自身の首相就任1年の日だった。


小泉首相のときに中国は8月15日への参拝を特に反対していました。邪推かもしれませんが、朝日新聞は、終戦の日に参拝すればもっと強烈に反対すると思います。参拝するならせめて「英霊」と関係のある日を選ぶべき、という意見でないかぎりこのような非難をするべきではありません。

 首相がどんな理由を挙げようとも、この参拝を正当化することはできない。


こういうことを言うのが一番困ります。たとえ相手の行為が間違っていると感じても、理由によっては正当化できるかもしれない、と考えるのが大人です。社説子の態度は子供のようです。

 中国や韓国が反発するという理由からだけではない。首相の行為は、日本人の戦争への向き合い方から、安全保障、経済まで広い範囲に深刻な影響を与えるからだ。
 首相は参拝後、「母を残し、愛する妻や子を残し、戦場で散った英霊のご冥福をお祈りし、手を合わせる。それ以外のものでは全くない」と語った。
 あの戦争に巻き込まれ、理不尽な死を余儀なくされた人たちを悼む気持ちに異論はない。
 だが、靖国神社に現職の首相や閣僚が参拝すれば、純粋な追悼を超える別の意味が加わる。
 政治と宗教を切り離す。それが、憲法が定める原則である。その背景には、軍国主義と国家神道が結びついた、苦い経験がある。
 戦前の靖国神社は、亡くなった軍人らを「神」としてまつる国家神道の中心だった。戦後になっても、戦争を指導し、若者を戦場に追いやったA級戦犯をひそかに合祀した。
 境内にある「遊就館」の展示内容とあわせて考えれば、その存在は一宗教法人というにとどまらない。あの歴史を正当化する政治性を帯びた神社であることは明らかだ。
 そこに首相が参拝すれば、その歴史観を肯定していると受け止められても仕方ない。
 それでも参拝するというのなら、戦死者を悼みつつ、永遠の不戦を誓った戦後の日本人の歩みに背を向ける意思表示にほかならない。
(略)


首相は、『全ての戦争において命を落とされた人々のために手を合わせ、ご冥福をお祈りし、そして、二度と再び戦争の惨禍によって人々の苦しむことのない時代を作る決意を込めて、不戦の誓いをいたしました』と語っています。靖国神社の意思がどうあれ、安倍首相の考えはこれです。
社説子の理屈が正しければ、首相にかぎらず靖国神社の参拝者はすべて「戦後日本人の歩みに背を向ける意思表示」をしていることになってしまいます。すこし論理が粗雑です。

以下、社説からの引用は省略します。

私の考えでは、政府要人が宗教施設への参拝を公式に行うのは、政教分離の原則からみてやや疑問があります。しかしながら、国に徴兵されて死んでしまった人たちになんの態度も示さないというのは問題がありますし、靖国神社以外に追悼施設に参拝するのは死者への約束を反故にするものとなります。

大騒ぎにならず、静かに参拝できるのが一番望ましいのですが、マスコミが騒ぎを大きくしているように(中韓をたきつけているように)見えてなりません。

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