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【朝日新聞】韓国でも引きこもり

8月1日朝日新聞朝刊の記事『引きこもり、韓国でも 悩む親「日本参考にするしか…」』より。韓国でも引きこもりが社会問題化していて、引きこもりの先達である日本を参考にしているというニュースです。

(略)
 自身もひきこもりの子を持つ母親である父母の会の副会長、金元眉さん(50)は「問題が水面上に出てきているのを感じる。実態をもっと深く知り、互いに慰め合うために、日本の父母たちと連絡をぜひ取りたい」と話す。
 韓国では様々な課題が日本から10~20年遅れて問題化するといわれる。世論も日本で起こる社会現象が「韓国にもあるのではないか」と気にかける。いじめは日本に続いて社会問題化し、日本語の「いじめ」が使われるようになった。少子高齢化にも悩む。そして姿を現しつつあるのがひきこもりだ。
 21万人と推計した国会議員の尹一逵さん(69)は医師として日本の医師らと情報交換をしてきた経験から「日本という課題先進国が隣にあることは韓国に有利だ」と指摘する。「社会と経済の構造が似ているから、日本の政策を参考にすれば失敗のリスクは低くなる。日本が失敗した部分があれば反面教師にすればいい」
 ひきこもりの子と向き合う悩みについて、ソウルに住む50代の母親に聞いた。
 私の17歳の息子は、部屋を施錠して食事やトイレのほかは部屋を出ません。中学3年のころ理由なく欠席を始め、「なぜ学校に行くのか分からない」。だんだん欠席が増え、高校は中退しました。
(略)
 息子は部屋では、ずっとスマホ。日本のアニメや音楽が好きで、ボーカロイド(音声合成ソフト)のキャラクター「初音ミク」の大ファンです。うそのようですが、日本語が話せるようになっていました。
 日本では共同生活やボランティアをした。今も部屋からは出ませんが、大学に行きたいと言うようになりました。韓国で経験できなかったことに日本で接し、とても助けになりました。ひきこもりに関しては、日本を参考にするしかないのです。
 日本では父母の集まりにも出ました。「私の子はひきこもって20年になる」という話を聞くうち、親の悩みは変わらないんだと思った。解説書で役立った2冊も日本語からの翻訳です。



韓国では日本の課題が20~30年遅れて問題化していて、引きこもりも注目されるようになった、という解説です。

しかしこれはデータに裏付けられたものではありません。例えば「セクハラ」という言葉が一般化する前から「セクハラ」に相当する事例は多数ありました。「DV」などというもの同じです。「引きこもり」という言葉が生まれる前からたぶん引きこもりは存在していて、高級遊民とか登校拒否とか言われていた人たちがそれにあたるのでしょう。

「いじめ」も日本発祥みたいにみなされていますが、アメリカのドラマや映画でも学校内のいじめはよく描かれていました。

韓国で「引きこもり」が注目されたのが最近でも、もとからそういう人たちはいた可能性はあります。日本発のニュースに触発されて周りを見渡すと、わが国にも「引きこもり」が多数いると発見した、ということかもしれません。


日本のアニメや音楽が大好きで日本語が話せるようになった(どの程度かはともかく)、というのは驚きです。

アメリカ映画や音楽が好きな日本人は多数いますが、それが嵩じて英語が話せるようになった、というのはついぞ聞きません。

もしかしたら日本人というのは語学の才に欠けているのでしょうか?


最近、政治における日韓の離間が進んでいますが、こういう事柄なら協力できることは協力するのは良いことかと思います。

「民間協力がたくさんあるのだからホワイト国のままにしろ」とか言われても困りますが・・・

【朝日新聞】韓国との民間交流途絶

7月29日朝日新聞朝刊の記事「中学生訪韓、出発式までしたのに 交流事業が次々中止」より

 日本政府による対韓輸出規制の強化を受け、韓国の釜山市が28日、長崎県や福岡市などと続ける自治体交流の「中断」を宣言した。韓国では日本製品の不買運動が続いており、訪日旅行者数も激減。出口の見えない政府間のにらみ合いが、互いの経済や文化活動にも悪影響を広げている。
 「日韓関係が発展的に改善するまでの間、延期したい」
 長崎県の担当者が29日、友好交流都市の韓国・釜山市に問い合わせると、こう返答があった。毎年、交流内容を盛り込んだ協議書を締結していて、今年は8月上旬に、釜山市の部長級職員が長崎を訪問する予定だった。
 一方の釜山市は、長崎県や福岡市などとの交流事業について「韓日関係が発展的に改善するまで暫定的に中断する」と28日に発表。日本政府の韓国への輸出規制を踏まえた措置だと説明した。呉巨敦(オゴドン)市長は「不当な経済報復措置が速やかに撤退され、両国関係が一日も早く正常化することを期待する」との談話を出した。呉氏は政権与党である「共に民主党」に所属している。
 政治的な駆け引きによって、長年、日本と韓国の間で続いてきた交流イベントが、相次いで中止や延期となっている。
 長崎県対馬市では、8月上旬の「対馬厳原港まつり」で、朝鮮通信使の復元船の来航中止が決まった。派遣を準備していた韓国の財団法人「釜山文化財団」が市に中止を伝えた。比田勝尚喜市長は「朝鮮通信使に関する事業は日韓の平和を象徴するもの。国家間の問題が早期に解決することを望むばかり」と談話を出した。
 岐阜県大垣市では、28日から予定していた韓国・昌原(チャンウォン)市の子どもたちとのサッカー交流が延期に。「外交関係が難しい状況になっている」などと、韓国側が延期を申し入れたという。
(略)



よく分からない記事です。

相次いで交流停止になった事案をいくつか挙げていますが、全体の民間交流がどれだけあるのかが分からないと全体像が見えません。すべての交流が途絶えたのか、半分の交流が途絶えたのか、全体の1%が途絶えたのかで意味合いが変わっています。


こういう海外との交流というのは何を目的にしているのかと思います。表向きは異文化交流で子供たちの視野を広げ云々、ということかもしれませんが、実態は引率の大人が飲み食いしたいだけではないでしょうか。「姉妹都市」にもそういう臭いがしますが、子供をだしにしている分悪質な感じがします。


韓国と揉めて民間交流が中止になるのはいままでもよくありました。たいてい韓国から断絶しているようです。

どうしても異文化交流がしたいなら、韓国以外の相手にすべきです。韓国と付き合っているとこれからも振り回されるだけです。

【朝日新聞】『感情論で揺らぐ「政経分離」』

7月25日朝日新聞朝刊オピニオン欄。ジャーナリスト津田大介氏の『感情論で揺らぐ「政経分離」』より

政府が韓国向けの半導体材料3品目の輸出規制を厳格化する措置を発表したことが大きな議論を呼んでいる。安倍首相は3日に行われた日本記者クラブ主催の党首討論会で韓国の元徴用工訴訟に触れ、「1965年に(日韓)請求権協定でお互いに請求権を放棄した。約束を守らない中では、今までの優遇措置はとれない」と語った。
(略)
実施直後に行われたJNNの世論調査では今回の措置を妥当だとみなす国民が58%に及んだ。背景に日韓関係の悪化があることは明白だ。
他方で、日本政府の今回の措置に疑問を投げかける声も小さくない。澤田克己は規制措置を「長期的にはブーメラン効果で日本企業に痛みを強いる愚策」と主張する。澤田によれば今回の措置の問題点は、1)自由貿易を主張してきた日本の国際的信頼の低下2)国際的な半導体供給への悪影響3)大口顧客である韓国企業への輸出が減る日本企業の被害4)韓国が代替品の調達・開発を進め、結果的に日本企業の国際競争力が損なわれるだろうこと、にあるという
(略)
なぜ日本は自分たちにとって経済的メリットの薄い輸出規制を進めるのか。木村幹はその理由を「政策の効力にではなく、これにより『韓国を痛めつけ』あるいは『痛めつけようとする』のだ、というメッセージそのものにある」と分析する。理路をたどって両国の中長期的な利益を模索するよりも「韓国が苦しむ姿を見たい」という国民をターゲットにした「感情」に訴えかける政策を、日本政府はあえて採っているということだ。そしてその政府の狙いは、世論調査を見る限り、現政権の支持率を下支えする結果をもたらしているように見える。
(略)
韓国ギャラップが12日に発表した世論調査結果によるおと日本に「好感が持てる」と回答した人は12%と91年の調査開始以来最低となった一方、日本人に「好感が持てる」とした人は41%に及んだ。このような状況下であっても国と個人を区別できている分、韓国人の方が日本人よりも若干冷静と言えるかもしれない。参院選も終わった今だからこそ、ヒートアップした対韓感情を冷まし、政経分離を進める政策を政府には望みたい。



政府の説明では、今回の規制措置は韓国側の管理に疑問があるから行うというもので、背景に徴用工(?)をめぐる不信感があると補足しているものの、メインの理由ではないとしています。

もちろんこれは建前かもしれません。しかし、もしかしたら本当に徴用工(?)問題とは無関係で、徴用工(?)問題への対抗措置は別にあるのかもしれません。

書類がそろったら普通に輸出することになるのかもしれませんし、難癖をつけて事実上の禁輸か数量規制をかけるのかもしれません。

もう少し様子を見守る必要があります。



今回の措置が禁輸か数量規制だとして、韓国が代替品を調達・開発して結局は日本が損をするというのはその通りかもしれません。しかし、代替品の調達・開発というのはそんなに簡単にできるものなのでしょうか。当の韓国がヒートアップしているところをみると簡単にはいかないと韓国自身が考えているのだと思います。


津田氏は、韓国の世論調査で、日本人への好感度が日本政府への好感度を上回ったことを理由に「(韓国人は)日本人より若干冷静」と分析していますが、これには根拠がありません。

日本人への世論調査を行い、対韓国人・対韓国政府への好感度を訊いて、韓国ほどの差がなければ、日韓の比較はできます。

しかし、津田氏が紹介している日本人への世論調査は、措置を妥当とみなすかどうか、というものだけです。

もしかしたらどこかでそういう世論調査があるのかもしれませんが、文中に触れずに、いきなり「(韓国人は)日本人より若干冷静」と結論を出すのは論として正しくありません。

【朝日新聞】低投票率は野党の責任です

7月24日朝日新聞の社説『投票率48.80% 政党が「棄権」に負けた』より引用します。

 与野党ともに敗北を喫した。そう言われても仕方あるまい。
 48・80%。今回の参院選の投票率は5割を切り、1995年の44・52%に次ぐ、戦後2番目の低さとなった。
(略)
 まず問われるべきは、有権者を引きつけることができなかった政党、政治家の責任だ。
 安倍自民党が6連勝した国政選挙の投票率は、いずれも60%を下回っている。2014年の衆院選の52・66%は戦後最低、17年の衆院選の53・68%は2番目の低さだった。
 「安倍1強」のもと、多様な民意に向き合おうとしない強引な政権運営が続いていることと無縁ではないだろう。
 今回の参院選にあたっても、国会の論戦を回避し、「老後2千万円報告書」など不都合な現実にはふたをした。「安定か、混乱か」と、6年以上前の民主党政権をあげつらい、重要な政策課題について国民に問いかける姿勢は乏しかった。
 野党の力不足も大きい。全国32の1人区すべてに統一候補を立て、一定の効果はあったものの、明確な争点をアピールできず、より多くの有権者を糾合するうねりは起こせなかった。
(略)


投票率が低いのは与野党双方に責任があるという主張です。

私はこの主張はおかしいと考えます。

今回の参院選で、なぜ投票率が低かったかといえば、与党勝利という事前予測の通りになってもかまわないという人が多かったからで間違いありません。つまり野党の力不足こそが最大の原因です。

「多様な民意に向き合おうとしない強引な政権運営が続いていること」に有権者の多くが批判的であれば、投票率は上がりこそすれ下がるはずがありません。

与党も野党も共に悪い、と大所高所に立った意見を言うのは気持ちいいかもしれませんが、現実を見ている意見だとは思えません。

【朝日新聞】音楽カルキュラムの必要性とは?

7月22日朝日新聞朝刊の記事。東京学芸大学付属世田谷中学校音楽科教諭・原口直氏の「学びを語る 音楽科の可能性 生活も社会も、無限のつながり」より引用します

 生活や社会とのつながりを強く意識しながら、音楽科の授業をしています。楽器が演奏できるようになった、合唱コンクールで入賞した――。それも大切ですが、もう一歩進んだことをやらないと、音楽科が消えてしまうという危機感があります。知的財産権や企業のCSRなど、社会や生活と結びつけると、音楽科で学べることは無限にあります。
 例えば、スメタナの「ブルタバ(モルダウ)」では、社会を動かす音楽について考えます。この曲はチェコの独立を願って作られました。音楽での表現が多くの人々の心に響き、民族意識の高まりにつながった。そんな話をし、現代にも目を向けます。飢餓救済のチャリティーソング「We Are The World」や、東日本大震災の復興支援ソング「花は咲く」……。曲が作られ、歌われた背景や、社会を動かそうとした人々の思いを身近に感じられれば、興味は広がります。
 先月はジェンダーをテーマにしました。歌や尺八の演奏などを聴き、歌い手や奏者がどんな人か想像させます。「かれんな感じ。歌っているのは女性」「音が力強い。男性の演奏」「黒髪の女性が和室で吹いている」。意見を交わした後、実際の演奏の映像を見ます。ショパンの幻想即興曲を流れるように弾いていたのは7歳の少年。尺八の奏者は米国人男性。驚きの声があがり、「偏見や固定観念に気づいた」などの感想が聞かれました。
 生徒の多くは将来、納税者や消費者として、音楽家や音楽文化の支え手になります。良き支え手になってもらうためにも、音楽科の価値を高める工夫を重ねていきたいです。(聞き手・三島あずさ)



チョコ独立や東日本対震災を学ばせたいなら社会の授業でするべきです。その中で生徒の興味を引くために音楽を活用することはあったとしても、音楽というカルキュラムの中ですることではありません。

本来、音だけで楽器奏者の人種・性別・年齢なんて分かるはずがありません。無理やり想像させて、間違っていたら「偏見や固定観念」だ、などというのは馬鹿げています。

そもそも学校で教えるべき科目は時代とともに見直していくべきです。そうでなければ、我々はいつまでたっても論語を素読してソロバンをはじいていただけだったでしょう。

音楽だって必要性がなくなればなくすべきです。納税者や消費者として音楽家や音楽文化を支えるために学校で音楽をやらされているのだとしたら、実にふざけた話です。

すくなくともこの文章では、原口は音楽カリキュラムの必要性を説明できていません。

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えいび

Author:えいび
日々の出来事、映画やアニメの感想です。

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